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神社信仰の類型


 日本各地に祀られている神社の創祀にかかる由来を探ると、 みずからの祖先神を斎き祭った「氏神信仰型」と、新たに開発した領地にみずからの氏神を招いたり、 ときめく神社の分霊を祀ったりする「勧請型」とに大別されるようだ。

氏神型神社信仰

 古い伝統的形式であり、神道信仰の基本形態ともいうべきもの。古来の神社は、血縁・地縁組織によって氏族統合の神である氏神や地主神などが祀られてきた。祀る人々は、個人的信仰・祈願をすることは少なく、五穀豊穰や一族の和楽を祈願する共同祭祀が中心であった。当然、氏族や地域が限定されており、他の氏族や地域に関係のないものが祭に参加することはできず、閉鎖的であり、祭神名や神の霊験などはあまり重視されなかった。
 すなわち、生まれたときから、氏神とのつながりは運命づけられていて、氏人として神に仕え、共同して神の恩頼(みたまのふゆ)をうけることを旨とした。神社名に地名を冠する例が多く『延喜式』の神名帳に登録されている2861神社(3132座の祭神)の大部分はこの形態に属している。
・村落の宮座が中心となって代々受け継がれる祭礼と神事

勧請型神社信仰

 崇敬祈願型神社信仰ともいわれる。氏神型は大化前代からの神道信仰の原型といってもよいものだ。これに対して、平安時代以降、個人意識が顕在化し、仏教信仰における個人救済などの影響もあって、個人祈願や現世利益の願望が強くなってくる。こうして、霊威のある神々が地域を越えて信仰されるようになり、各地域に勧請され、新たな神道信仰の発展がみられるようになった。
 外からやってくる神は霊威のある大神と意識され、地域の神は大神のもとで小神となり、合祀されたり末社となって存続するが、社名は霊威のある流行神に変更されることが多かった。
 勧請型信仰の特徴は、神社の性格が神仏習合の色彩が強く、現世利益の御祈願信仰が基盤となっていて、祭神の神格・神徳を顕彰し、その霊験を宣揚していくことが多い。平安後期から中世になると、このような中央の霊威ある神々(伊勢・八幡・天神・熊野)が各地方に迎えられ、旧来の『延喜式』登載の式内社は社名を変更して、重層的に新たな信仰を加えることになる。
 それは「氏神型」の基本形に「勧請型」の性格が重なり、現在ではこの二系統が混在した形で、氏神様として郷土の守護神になっている例は数多い。
 「勧請型」形式に属する信仰は、流行神として各地方に武士や農民など信者、また御師・修験者など祈祷者によって 勧請され広まっていった。現在最も多く勧請され祭られているのは、稲荷信仰、八幡信仰、伊勢信仰、天神信仰などで ある。こうして、神社が各地に分祀されるとともに、神社の紋所である神紋も全国に広まっていったのである。

●全国神社分祀一覧表

社名主祭神分祀数 社名主祭神分祀数
稲 荷宇迦之御魂神32000 八 幡応神天皇25000
伊 勢天照大神18000 天満(天神)菅原道真10441
宗像厳島宗像三女神8500 諏 訪建御名方神5073
日 吉大山咋神3799 熊 野素戔鳴神
伊弉諾尊
伊弉冉尊
3079
津 島素戔鳴尊3000 白 山菊理媛神2717
八 坂素戔鳴尊2651 熱 田熱田大神2000
松 尾大山羽咋神1114 鹿 島武甕槌神918
秋 葉火之迦具土神800 金刀比羅大物主神683


稲荷信仰
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 稲荷信仰は全国でも最も多く分祀され、邸内の社やデパートの屋上、企業会社の神など幅広い。「稲荷」とは、老翁が農作業をして稲を担う姿を連想すがちだが、もともとは稲の生命力、生成発展、産霊の信仰が根底にあり、「稲成り」「稲生り」のことで、稲魂信仰に由来する。近世以降は商売繁盛・殖産興業の神、さらには三陸地方では漁業神へと変化しているのは、稲の生命力の発展形態であり、その祖型は稲作儀礼・農耕信仰に基づいているのである。
・抱き稲紋

八幡信仰
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 八幡信仰は九州の宇佐八幡を本社とし、平安時代に石清水八幡宮が山城に勧請され、伊勢とともに二所宗廟に位置づけられ、鎌倉幕府の守護社に鶴岡八幡宮がなり、公家と武士の信仰それぞれ獲得することによって飛躍的に拡大していった。
 石清水の地位の向上は石清水荘園の発展となり、各地の荘園に八幡別宮が勧請された。また、幕府の御家人は平家に勝利し、承久の乱を経て、各地に所領を与えられ、荘園内に幕府の守護神を祀るようになった。これらは、ともに荘園の守護神として農業神の性格を付与されていった。
 本来の宇佐八幡宮は、様々の信仰形式が合流して複雑であるが、その一つに農耕の神としての性格があったことは 事実である。平安中期には、一大宗教運動である志多羅神の信仰が流行したが、この童謡の一つに「八幡種蒔く、 いざ我ら荒田開かん」という、農業の荒田開発を歌っているものがあり、八幡神には農民の信仰のなかに、 水田開墾を進め守ってくれる神と意識されていたことが理解できる。
・石清水八幡宮

伊勢信仰
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 伊勢神宮は皇室の宗廟、国家を鎮護する最高最貴の社とされ、私弊禁断を原則とした。しかし、平安末期いらい御祈祷師(御師)が各地に大神宮信仰を流布して、祓祈祷し、神徳の宣伝につとめた。
 伊勢神宮の神領である御厨や農村各地に大神宮信仰は高まり、講が組織されていった。この信仰の発展に重要な役割を果たしたのは、福神的性格や豊受大神の農業神的性格が大きくあずかっていたことは間違いない。

天神信仰
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 天神様は、いまでは合格の神・学問の神として有名であるが、御霊信仰から出発したもので、平安時代に政争に敗れ、非業のうちに死んだ菅原道真の御霊を和めるもので、その信仰の原型は雷神(稲妻・稲光)とであり、それと御霊信仰が結び付いたものである。雷神が、稲妻・稲光とも書かれるように農業推進の役を担っていたことも信仰を集めた要因にあげられる。
 このように神社信仰は、時代の変遷に応じて、その神徳・霊験の内容を変えていくが、その根源には稲に象徴される生成発展・生命力が潜んでいるのである。
・梅紋



[資料:日本「神社」綜覧(新人物往来社)/家系(豊田武著:東京堂出版刊)/神社(岡田米夫著:東京堂出版刊)]