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名前 |
家紋名称 |
小伝 |
出身 |
勤皇系志士
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坂本 竜馬 |
組違い角に桔梗 |
大河ドラマ「龍馬伝」の主人公。土佐藩郷士に生まれ、脱藩したのち志士として活動。
海援隊をつくり、薩長連合の斡旋、大政奉還の実現など幕末史に刻んだ足跡は巨大。 |
土佐藩 |
武市 半兵太 |
柿の花 |
土佐藩郷士の長男に生まれる。坂本龍馬とは遠縁にあたる。
尊王攘夷を掲げて土佐勤皇党を結成、参政吉田東洋を暗殺して藩論を主導した。
しかし、文久三年八月十八日の政変によって情勢は一変、獄中の身となり、山内容堂の命を受けて切腹した。
月形半平太のモデルであり、無類の愛妻家でもあった。 |
土佐藩 |
中岡 慎太郎 |
綿の花 |
土佐国安芸郡の大庄屋に生まれる。武市半平太の結成した土佐勤皇党に加盟、
志士として活動した。のちに脱藩して坂本龍馬とともに東奔西走、倒幕・王政復古に尽力した。 |
土佐藩 |
田中 光顕 |
三つ葉木瓜 |
土佐藩家老深尾家の家臣浜田氏に生まれる。土佐勤皇党に加盟し、吉田東洋暗殺事件にも関わった。
その後脱藩、中岡慎太郎の陸援隊に参加、戊辰戦争では陸援隊を率いて活躍した。 |
土佐藩 |
岩崎 弥太郎 |
重ね三階菱 |
弥太郎の出た岩崎家は、家伝によれば甲斐源氏武田氏から分かれた岩崎氏の後裔だという。弥太郎はのちに三菱財閥を
興すが、三菱の社章は岩崎家の三階菱と恩義のある土佐藩主山内家の「細三つ柏」を合体させたものとして知られる。 |
土佐藩 |
橋本 左内 |
五七の桐 |
福井藩士。緒方洪庵の適塾に学び、藤田東湖や西郷隆盛らと交流。
松平春嶽の右腕として将軍継嗣問題に奔走したが敗れ、その才を恐れた井伊直弼により安政の大獄で刑死した。
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越前藩 |
由利 公正 |
四つ唐花 |
福井藩士三岡家に生まれる。横井小楠に財政学を学び橋本左内とともに国事に奔走、
松平春嶽に財政手腕をかわれ藩財政の再建に努めた。藩財政再建の実績は龍馬も評価していた。 |
越前藩 |
横井 小楠 |
丸に三つ鱗 |
鎌倉幕府の執権北条氏得宗の後裔にあたる、熊本藩士横井時直の二男に生まれる。私塾を
開いて多くの門弟を育成、龍馬もその塾を訪ねている。松平春嶽から政治顧問として招かれ、幕政改革にも関わった。 |
肥後藩 |
佐久間象山 |
丸に三つ引両 |
松代藩士に生まれる。江戸で学んだのち私塾を開き、西洋の兵学や医学にも関心を寄せたが
儒学ベースの古い知識人であった。一橋慶喜に招かれて入洛したところを河上彦斎らによって暗殺された。 |
松代藩 |
陸奥 宗光 |
蟹牡丹 |
紀州藩士伊達宗広の六男に生まれた。陸奥陽之助と名乗った宗光は、江戸に出て坂本龍馬・桂小五郎らと
知り合った。勝海舟の海軍操練所に入り、龍馬が海援隊を起こすと
重要メンバーとなるなど終始龍馬と行動をともにした。
実家伊達家は伊達政宗の子孫で、家紋も仙台伊達家にちなむ牡丹紋であった。 |
紀州藩 |
香川 敬三 |
五七桐 |
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水戸藩 |
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