桓武平氏の家紋から探る



 桓武平氏といえば「蝶」紋というのが定説となっている。しかし、関東に根を下した板東八平氏と称される 桓武平氏一族の家紋を見ると、三浦氏が「三つ引」、梶原氏が「石畳・矢筈」、秩父氏が「桐」、 上総氏・千葉氏が「星(曜)」、土肥氏が「巴」、さらに鎌倉幕府執権として辣腕を振るった北条氏は「三つ鱗」で、 蝶紋を用いる家は皆無である。とはいえ、伊勢の関氏一族、室町幕府政所に任じた伊勢氏らが「蝶」を家紋としているが、 全体としては少数派というしかない。
 徳川幕府が編纂した「寛政重修諸家譜(寛政譜)」に記載された平氏は、清盛・経盛・忠度・忠正・季衡・貞衡・ 維将・繁盛・良将・良文・良兼・三浦・千葉・秩父・北条流・高棟・織田氏支流・未詳平氏など十九流である。 そのうち清盛流は二十二%が「蝶紋」を用いており、蝶紋は清盛流の代表紋といえそうだ。 北条氏の出た維将流は「鱗紋」が多く、北条氏支流と併せれば維将流の代表紋は文句なく鱗紋である。 良将流では馬紋が四十一%を占めているが、それは相馬氏のものであって良将流の代表紋とはいいがたい。 同じように良兼流では柏紋が九十%近くを占めるが、これはすべて長田氏一族のもので柏紋は良兼流というより 長田氏の代表紋というべきものだ。良文流は五十五氏百一家を数え、星紋が十四%を占めている。 三浦・千葉の両氏は良文流に属する武家で、三浦氏は「三つ引両」を用いる家が半数を占め、 千葉氏では星紋が十七%を占めている。良文流の場合、千葉氏流において星紋が多用されていることが知られる。
 寛政譜に記載された平氏諸家のうち、蝶紋を用いた家は全体の6%で、蝶紋を平氏の代表紋とするのは 無理があるといえよう。一方、公家平氏の家紋を見ると、いずれの家も蝶紋を用いており、公家に限っていえば蝶紋は 平氏の代表紋であった。ところで、平氏に分類されている織田氏は「五つ木瓜」が代表紋だが、 その出自を平氏とする説は否定されている。

● 源氏・平氏略系図  ● 桓武平氏各流の家紋


各流の代表紋

清盛流
良将流
良文流月星/七曜/九曜
貞衝流
維将流
良兼流
高棟流左三つ巴
公家平氏

代表的姓氏と家紋

三浦氏三つ引両
北条氏三つ鱗
千葉氏月星
千葉の相馬氏繋ぎ馬/月星
福島の相馬氏繋ぎ馬/九曜
長尾氏
熊谷氏鳩に寓生
葛西氏三つ柏
奥州千葉氏月星
椎名氏葛/沢潟
宗 氏*桐/菊/丸に四つ目結
戸沢氏*九曜/戸の字
鳥居氏*竹に雀/鳥居
岩城氏*角引両/丸引両

*は近世になって本姓を平氏と称したもの    





[参考資料:日本紋章(沼田頼輔著・人物往来社刊) ・歴史読本432号]

戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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