酒井氏は鎌倉御家人の一で、丹波国多紀郡南西部の犬甘・主殿・油井保を領して中世の丹波に小さからぬ足跡を刻んだ。
酒井氏は栗栖野・当野(竹内)・八代に分立し、さらに矢代からは初田・宮林・平尾氏ら、
油井からは山俵・西垣・平井氏らの庶子家を分出して一族はおおいに繁衍した。
応仁の乱ののち、丹波守護細川氏の被官波多野氏が多紀郡に入部してきた。永正四年(1507)、
ときの幕府管領で細川氏惣領の政元が暗殺され、細川氏二流の乱となった。この事件を契機に波多野氏は勢力を伸張、
酒井氏は大山の中沢氏らとともに波多野氏と対立した。永正五年、酒井氏は波多野氏に敗れたようで勢力を失墜、
その後、波多野氏の勢力下に組み込まれていった。そして、酒井一族は矢代酒井氏を惣領として、
多紀郡南西部一帯に南矢代城、栗栖野城、大沢城、油井城などの城砦群を築いて摂津方面への防御に任じたのである。
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