古市方面から松尾山を遠望(20090601)
高仙寺城は篠山市の西方に聳える白髪岳と並び立つ標高680メートル余の松尾山山上にあり、矢代酒井党の惣領主水介氏治が築いたものと伝えられている。氏治は南矢代城を本拠としていたが、明智光秀の丹波攻めが始まると、さらに酒井党が割拠する諸城の要の城として、標高もあり峻険でな松尾山上に新たに城を築いたようだ。戦国山城とはいえ、
なんとも高いところに築いたものだと驚かされること疑いない。
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白髪岳から見た松尾山 ・ 城址への分岐 ・ 城址へ ・ 主郭に登る
主郭の切岸 ・ 主郭南の虎口 ・ 主郭切岸と南曲輪 ・ 曲輪を見下ろす
階段状に築かれた東曲輪 ・ 門祉を思わせる岩 ・ 東尾根先の堀切 ・ 文保寺への分岐
松尾山の山腹には法道上人が開いたという古刹-松尾山高仙寺があり、酒井党結合の精神的な拠り所となっていた。波多野氏に属した氏治は南矢代城、波賀野城に拠って明智方に抗戦したが、戦いが激化していくなかで、酒井党結束の象徴である高仙寺背後の山上に拠点を移した。高仙寺城からは酒井党最南端の城である油井城をはじめ、東方山上の栗栖野城が指呼に望まれ、南矢代城、大沢城、波賀野城とは尾根続きで繋がっていた。氏治はなかなかの勇将であったようだが、天正六年、大山城に拠って明智軍と戦う長澤氏に援軍として出陣、傷を被った氏治は高仙寺に帰る途中で戦死した。主水介の亡骸は高仙寺の一山墓地の西方に葬られ、
いまも「自光院殿」「酒井城主氏治之墓」と刻まれた墓碑が静かに佇んでいる。
松尾山上にある高仙寺城の遺構は、最高所の主郭を囲むように腰曲輪が階段状に築かれ、高仙寺に続く尾根に築かれた二つの城址とともに、城郭群を形成している。主j郭から東に伸びる尾根にも曲輪が築かれ、城門址を思わせる大岩、城址最東端は堀切が切られている。削平もシッカリしていて、切岸も高く、保存状態は悪くない。しかし、山上の城址からは多紀連山が僅かに望めるばかりで展望はほとんど利かない。往時、酒井党の諸城はもとより、
波多野氏の拠る八上城、篠山北方の山々に築かれた諸城群が一望できたことは間違いないところだけに残念だ。
城址への登山道は、南側の住山集落から白髪岳→松尾山、松尾山→白髪岳に登る登山コースがある。また、東南山麓の南八代から、大沢ロマンの森の火とぼし山からのコース、さらに文保寺からの登山道などがあり、いずれもよく整備された道である。いずれも、四季折々の自然を味わいながらの山歩きが楽しめるコースで、それに修験道の古い寺院、
戦国山城めぐりを加えることでさらに楽しさが倍増すること請け合いである。
高仙寺の一角に佇む主水介氏治の墓碑
・登城:2009年9月16日
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高仙寺址から城址界隈を歩く
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