高仙寺址から城址界隈を歩く

・2007年11月24日 → 2008年01月01日


城址「仙ノ岩」から三田方面を望む

丹波松尾山上の山城─高仙寺城



承久の乱(1221)後、関東から丹波の地に移住してきて丹波酒井氏が、戦国時代末期に築いた城。酒井氏は旧丹南町南部に一族が繁栄、明智光秀の丹波侵攻に際して八上城主波多野氏に与して抵抗、高仙寺城は最期の拠り所となった。
篠山市住山地区が登り口になる。往時、一大山岳寺院であっただけに石仏が要所に祀られている。いまは建物はまったく存在しないが、石垣や阿弥陀堂跡の一隅に佇む石仏や石碑がその繁栄のあとを伝えている。



阿弥陀堂から本堂跡、そして、高仙寺城址い向う。愛宕堂を通り過ぎると、高仙寺の僧侶たちの墓石である卵党が林立している墓地跡に出る。墓碑の手を合わせ、その背後の山にとりつく。高仙寺城址は三つの城址の集合体で、真中の城址にある「仙ノ岩」から壮大なパノラマを堪能する。




千年杉を眺めつつ酒井氏治が拠った松尾山頂の城址に向う、城址には朽ちかけた案内板があるばかりで眺望もいまひとつだ。しかし、樹木をはらえば正面に波多野氏の拠った八上城が望めるところであり、東北方にはわずかに篠山市街が見える。酒井党はこの高い山上に城を築き、織田軍の丹波侵攻に抵抗し敗れさった。高仙寺も落城時に焼亡し、のちに再興されたが、大正十年に現在ある南八代の地に移った。


松尾山─高仙寺城 文保寺、二村神社方面から再登山






・住吉台から松尾山を遠望 ・新春の二村神社 ・松尾山上に連なる城址をめぐる ・酒井氏治の墓碑 ・愛宕堂近くの石仏 ・法堂上人の供養塔 ・将軍堂の石垣 ・阿弥陀堂跡の三体仏

 →松尾山高仙寺跡