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渡邊(渡辺・渡部)氏
渡辺は渡部ともかかれ「ワタナベ・ワタベ・ワタリベ」と読み、渡部は古代の職業部の一つである。
船で人を運ぶ仕事に従事した人々が渡部で、その起源は古代に遡る。一方、渡辺は嵯峨天皇の皇子から出た
嵯峨源氏の流れである。中国文化を好んだ嵯峨天皇は皇子や皇女に融・信・定・常など一字名を付け、
源姓を授けて臣籍に降した。
融の子孫にあらわれた綱は、源満仲の婿であった源敦の養子となり、父宛の死後、
摂津西成郡渡辺に移って渡辺を名乗った。綱は頼光四天王の一人として、今日の一条戻り橋で鬼同丸という
悪漢を退治したことで有名。
綱の子孫は摂津渡辺党という武士団に成長、以仁王を奉じて源頼政が挙兵すると、その配下として活躍した。
以後、渡辺氏は各地を転戦し、その戦いぶりは勇猛をもって知られた。戦国時代になると、
武田・今川・織田・徳川・毛利など有力戦国武将に仕え、渡辺氏は全国に広まっていった。
(更新:2012_01/02)
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● 姓氏ベスト11~100に
56位:小野氏
・57位:片山氏をアップ。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋
二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
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どこの家にもある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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