「清華家」は、摂家につぐ家格で、大臣家の上に位する家のこと。この家のひとは近衛大将を経て太政大臣にまで昇りうる家である。


久我家(五つ竜胆車)

村上源氏。久我家はその昔、山城国愛宕郡久我の地より起こったので、これを氏の名とした。その祖は具平親王の子師房で、寛仁四年に源の姓を賜わって人臣に連なったのが始まりである。
【江戸時代の禄高:700石】
三条家(唐菱花)

藤原氏北家閑院流の嫡流にあたる名家。藤原実行を始祖とする。その邸が京都三条の北・高倉にあったことから、この称がおこり、のちに氏の名となった。転法輪とも称し、笛を家業とした。
【江戸時代の禄高:472石】
西園寺家(左三つ巴)

藤原氏北家閑院流の支族。閑院太政大臣公季の後裔公実の子通季を祖とする。通季の曽孫にあたる太政大臣公経が、山城国葛野郡北山荘に堂宇を建立し、これを西園寺と称したことからのちに家号となった。別に北山殿ともいう。金閣寺は足利義満が西園寺家よりこの土地を譲られ、建てたものである。代々琵琶を家業としていた。
【江戸時代の禄高:597石】
徳大寺家(木瓜花菱浮線綾)

藤原氏北家閑院流。閑院家公実の子実能が葛野郡に徳大寺を創建したことから、のちに家の名となった。笛を家業としていた。
【江戸時代の禄高:410石】
大炊御門家(菱に片喰草)

藤原北家師実の三男経実を祖とする。経宗が大焚御門の付近に住んでいたため、この名がおこり、のちに家号となった。二十一代左大臣信名は、近衛基熙の子で、徳川将軍家宣室ときょうだいであった。筆道を家業としていた。
【江戸時代の禄高:400石】
今出川家(三つ楓)

藤原氏北家閑院流。西園寺実氏を祖とする。実氏は初め、京都今出川の今出川殿に居たため、子孫がこれを家号とした。
【江戸時代の禄高:1,355石】
花山院家(杜若菱)

藤原北家。藤原師実の二男家忠を祖とする。かつてその邸宅に花山院法皇が住んだため、これを氏の名とした。この家から分かれたのが、中山・飛鳥井・難波・野宮・今城・大炊御門の諸家である。
【江戸時代の禄高:750石】
醍醐家(下り藤)

藤原北家。摂家の流れを汲む。一条殿関白昭良(実は後陽成天皇の第九皇子であった)の二男冬基を祖とする家。江戸時代前期に創立された。
【江戸時代の禄高:312石】
広幡家(十六葉裏菊)

正親町源氏。正親町天皇の皇子智仁親王が源姓をたまわって人臣に連なった。のちその子忠幸が尾州に赴き武家となった。その後忠幸は帰洛して広幡大納言と号してから、この称がおこり、家の名となった。
【江戸時代の禄高:500石】