桜がほころびかける3月の終りに帰省を兼ねて、行ってきましてん。日本のまほろば、大和のくにへ。 天理市を起点に、石上神宮、箸墓古墳、三輪の大神神社を経て明日香へと、古代のロマンを求めての旅でしてんでー。車で行ったっちゅーこともあって、広範囲に足を伸ばせました。 天理市から桜井方面へ南下しながら、ヤマタイコクの女王ヒミコの墓とちゃうのん?などといわれてる箸墓古墳、箸墓古墳の近くの古墳もいい味を出してましたねー。古墳って古代の、いわゆるタイムカプセルでっしゃん。天皇陵とされている古墳を発掘したら、新しい発見がでてくるんやろーに、なんで発掘でけへんようにしてんねんやろね宮内庁は。日本の考古学にとって残念なことやなーと思うのんは播磨屋だけやないと思うねんけどねー。 ついで道は、三輪へ。ここはソーメンで有名ですね。播磨屋の故郷にも「揖保の糸」っちゅうのんがありますが、三輪ソーメンの方が有名みたいやね。もちろん味は「揖保の糸」の方が上やと思てますけど。いわゆるこれは、ひとつの身びいきっちゅうやつやね。三輪には大神(Ohmiwa)神社ちう大層なNamingの神社があります。三輪神社の方がいい雰囲気やのに、何とも苦手な名前の神社ではあります。でもこの神社「酒の神さん」やて知ってはります。街の酒屋さんの軒先にぶら下がっている「杉玉」。あれってここでつくられているんだそうですよ。左党の方は一度行かれたら、ご利益(何のやねん!)があるかもしれませんねー。 大和には、「柿の葉寿司」ちう名物がありまんねん。いわゆる「サバ寿司」を柿の葉っぱで包んだ、一種の保存食なんでしょうね。これが「うまい!!」しかも酒(それも日本酒の熱澗がよろしーでー)に適いますねん。もちろん、播磨屋も大神神社の大鳥居前にあったソーメン屋さんで、熱澗をしばきながら食べてきました。「いやー、うまかったすよー!」。『熱澗と柿の葉寿司』一度ためしてみたってください。 てなこととで、若干の微薫を帯びながら(本来はいかんことなんでしょうけれども)降りだした雨の中を、車は一路飛鳥方面へと。 |
■箸墓古墳 ヤマタイ国の女王ヒミコの墓ともいわれる前方後円墳 |
■茅原大墓古墳 様式的にはほたて貝式の珍しい古墳 |
■大神神社前の素麺屋さん ここの柿の葉寿司がおいしかったんですねー |
でも、車で行くよりは歩く方をおすすめします。何といっても道が滅茶苦茶に狭いんですわ。もっとも、明日香の真ん中を自動車道がバーンと通ったりしてもたりしたら、古代の面影なんて吹っ飛んでしまうでしょうけどねー。 明日香へは、20年くらい前に何度か足を運んだことがあったんですが、今回久しぶりに行ってみてビックリ!国立飛鳥歴史公園なんていうのがでけてたりして、あちこち随分きれーに整備されてました。個人的にはむかしの何気ない田舎然とした、懐かしいたたずまいが好きやってんけど。まーこれはこれでしゃーないことなんやろーね。 でも何やかやいいながらも、ここ明日香は何度来てもえーとこですねー。これ、本音です。 6世紀末から7世紀末にかけて、いわゆる日本の古代の中心となったとこですもんねー。神武天皇の東征から始まって、ヒミコの時代を経て、氏族体制から律令体制へと大きく変化をとげようとする黎明期の日本の歴史が凝縮されてますもんねー。飛鳥を中心とした大和には(もっとも歴史的にみれば、そんな単純な話ではないでしょうし異論あるでしょうが、まー!一般論ちゅうことで )。 もっとものどかに感じる古代は、見方を変えれば陰謀と戦争の時代でもあったわけで、今なんかよりズーっと血生臭い時代だったんでしょうねー。 応神天皇が開いた前王朝に変わって、越のくにから継体天皇が大和に登場したことが、時代の大きな節目になっているようですね。この時もきっと平和な体制革新ではなかったことでしょう。 さらに、この頃から台頭してくる蘇我氏と旧体制下の諸豪族との葛藤も、喰うか喰われるかの陰謀が渦巻いた、なかなかに中途半端なものではなかったみたいでっせー。蘇我氏と旧豪族との対立は「仏教伝来」を引鉄に物部合戦というカタチで蘇我氏側の勝利に終わった。この頃の天皇家と諸豪族をみてみると、兄弟、姉妹。伯父、姪が「なんじゃこれは?」というほどに通婚してますねー。そしてそんななかで権力闘争をしてこましている。いまの政治もややこしいけど、そんな比じゃおまへん。いわば親戚同士が敵になっていがみあって、結局最後は殺しあう。「もー、メチャクチャでござりますがな!」という時代でもあったわけですね。古代は……。 【■系図を用意しました。見てもーたらよくわかりまっせ。ややこしいのんが】 日本史で「飛鳥時代」と呼ばれる時代は、592年に推古天皇が即位して、710年に聖武天皇が平城京に遷都するまでの約100年間をさしているようですね。 この時代は物部合戦に勝利した蘇我氏が、強大な権力をふるった時代でもありまんねんね。日本最初の女帝、推古天皇も、見方を変えれば蘇我氏の政治力が生んだ結果ともいえそうでっせ。その後の15代の天皇のうち8代が女帝という、まさに「女帝の世紀」が始まったのも飛鳥時代だったんやねー。 もっとも渡来系の血をひくといわれる蘇我氏は、旧体制にあった倭国ではかなり先進的な視野を持っていたようでもありますね。この時代は大陸との交流が活発な国際時代でもあったわけで、大陸の言葉も話せる「バイリンガル飛鳥人」も多かったそうでっせ。さらには、蘇我氏が中心となってすすめた仏教の招来、これも大陸のすすんだ文化を吸収しようとするひとつの政治の現われではなかってんやろか。仏教が伝来したことで、精神的、技術的に倭国が受けた恩恵ははかり知れないもながあったんやろなー、となんとなく想像できますやん。 聖徳太子と手を組んで、倭国=日本を改革していった蘇我氏、飛鳥はそんな蘇我氏の香りにみちたところでもありまんねん。 【■年表を用意しました。飛鳥時代もいろいろありましてんねー】 しかし「満ちれば欠く」ということばもありますやん。強大な権力を欲しいままにした蘇我氏にも落日の時は用意されてたんやねー。有名な「大化の改新」がそれですね。中大兄皇子と中臣鎌足が中心となって、蘇我氏を打倒したクーデターですね。もっともこの時、滅んだのは蘇我氏の本家だけで、分家の蘇我氏は次の体制にも生き残ってます。大津朝に蘇我赤兄なんてのもいましたしね。結局、蘇我氏も身内にまで裏切られたわけなんやね。こういうのんをみると人間って何なんやろねーと思いません? 大化の改新で蘇我氏に変わって権力を握った、中大兄皇子。百済を応援して唐と新羅の連合軍と白江村で戦って大敗を喫してしまうんやね。そして、都を琵琶湖のほとりの大津へと遷都してまいまんねん。飛鳥の地は難波津に近すぎて、唐と新羅の連合軍が攻めてきたら防戦が難しいとでも考えはったんやろか。一説には、唐の占領軍が来てたっちゅーのんもありますけど。まー、九州から中国、近畿の各地に、このおりに築いたといわれる城跡も残ってたりします。ということで、飛鳥もしばらくさびれてしまったわけやね。 中大兄皇子、即位して天智天皇が大津京で没すると、またまた戦雲がモクモクと湧きあがってきます。天智天皇の後継者とされた大友皇子を中心とする、大津京側と、天智天皇の同母弟大海人皇子の間で戦争になってしまうんやね、これが。大海人皇子の妃は天智天皇の娘(後の持統天皇)、大友皇子の妃は大海人皇子の娘ちゅう関係やのにでっせー!。ほんまに古代人っていうのんは、うんざりするようなことばかりをやってたんやねー。結局、後世「壬申の乱」とよばれる内乱を制した大海人皇子が権力を握るんですね。 大海人皇子は、乱の後「飛鳥浄御原宮」を造営。その地で即位して天武天皇となります。また、飛鳥に都が戻ってきたっちゅうことですね。この後もまだまだ血生臭い話しが続くわけなんですが、もううんざりちゅうとこですわ。古代って……????、まー、はるけくロマンティックに思いを馳せるのがえーみたいやね。 【写真:壬申の乱を勝ち抜いた、天武・持統天皇合葬陵】 |
なんてことを、みたり、読んだりして実際に飛鳥の地をうろうろしながら、石舞台古墳へ。驚きました!周囲には生け垣が植えられ、きれいに公園化されてました。しかも入場料まで払ったりして、やっと石舞台古墳が見られるという寸法になってもーてましてん。むかし来たときは本当に自然なまんまの状態で、もちろん無料で見られたのにねー。これも、まー仕方のないことなんやろねー。 土地を商品と化してしまった日本にあって、むかしの姿を望むこと自体無理なんやろなーとは思うけど、なんだかねー。きれいに整備されることに、けっして反対しているわけではないねんけれど、ドンドン温かみがなくなっていってんのんとちゃう!と言ったりすんのんは「年齢のせい?」なんでしょうね。 明日香の旅、ほんま色々と考えさせられました。 でも、みかんを道端で売っていたり、酒蔵で利き酒がでけたり、亀石や鬼の雪隠(Settinn)などの不思議な石造物、高松塚古墳や天武・持統天皇合葬陵などの古墳の数々をブラブラと見ながら歩くのんには最高のとこであることは間違いおまへん。 今回は川原寺、橘寺、飛鳥寺などの古社寺は行けへんかったんで、次はそこらへんを中心に見にこようかな、などと考えてます。いつか、飛鳥であえればいいですね。 【石舞台古墳のあれこれ話】 【なぜ、飛鳥と明日香があるの?】 |
■亀石 この石が西を向くとえらいことになるそう。現在は南向き |
■鬼の雪隠 雪隠はトイレのこと。どうも古墳の石棺の一部らしい |
■石舞台古墳 蘇我馬子の墓といわれるが、実態は歴史の霧のなか |
参考資料: ●飛鳥巡遊(飛鳥国営公園出張所発行) ●歴史公園情報誌「史(Fubito)」 ●国立飛鳥歴史公園パンフレット ●歴史街道推進協議会パンフレット ●黒岩重吾著:「聖徳太子」「北風に起つ」「天の川の太陽」 |