京から亀岡を抜けて篠山に通じるデカンショ街道(国道372号線・旧山陰道)、安田交差点を経て小野新の交差点を左折し、さらに篠山方面に進んでいくと小さな峠を越した右手に小山が見えてくる。その小山が淀山城址で、城址の西方には八上城址のある高城山が横たわっている。淀山城は祇園社領の波々伯部保に割拠した波々伯部氏の本城で、
南北朝時代、足利尊氏に属して功のあった波々伯部為光が築いたものと伝えられている。
波々伯部氏は久下・長澤・酒井氏らとともに丹波生え抜きの武士で、足利尊氏の旗揚げに駆けつけたことで名をあらわし淀山城を本拠として中世を生き抜いた。室町幕府に出仕して国人奉行を務めたものもいるが、細川氏の内衆波多野氏が八上に拠って勢力を拡大してくると、やがてその麾下に属するようになった。そして、波多野秀治が丹波の戦国大名になると、淀山城を主城に、
東山城、南山城などの支城群を築いて一族を配し、八上城の東口守備の任をになった。
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