戦国山城を歩く
・2007年2月10日→2008年5月→8月
辻交差点から城址を見る
淀山城址に登る
デカンショ街道(京街道・篠山街道)沿いにある波々伯部神社は、祇園社の末で中世波々伯部氏と関係の深かった神社である。本殿にめぐらされた幕には、波々伯部氏の家紋でもある「松喰い鶴」 が据えられている。波々伯部神社の東方にある小山に、戦国時代、この地に割拠していた波々伯部氏宗家の居城である淀山城址がある。
道なき道をブッシュをかき分けながら登っていくと、堀切り、曲輪の跡があらわれる。さらに登ると、主郭には子孫によって明治十三年に立てられた石碑があり、そこが本丸であったことが知られる。城址の東方には溜め池があり、そこから用水が山麓をめぐっているが、往時の壕跡であったのか否かは知ることができなかった。
淀山城再攻略
2009年02月07日
前回の登城は十分な下調べもせずガムシャラに城址を探索したため、のちに数多の見落としがあったことに 気づかされた。今回、城址へは溜め池北側の竹藪から分け入ったが、そこはすでに居館跡を思わせる削平地と なっている。城址最北端の尾根に取り付き、縄張り図をみながら主郭方向へと歩を進める。北尾根の大堀切、 主郭と北曲輪を隔てる高い切岸、東斜面に連なる竪堀・帯曲輪、さらに井戸曲輪の井戸跡など、 見所の多さと残存状態の良さに驚かされる。ただ、主郭に建立された顕彰碑が相変わらず荒れるにまかされていたこと、竹薮の中に廃棄物が目立ったことが惜しまれた。
北曲輪の大堀切・明確に残る竪堀・主郭を見上げる・主郭南直下の曲輪に残る礎石・主郭南側の土塁跡・主郭に残る顕彰碑
主郭南部の切岸・矢竹が随所に・南曲輪を見上げる・井戸曲輪の井戸跡・東斜面の横堀・登り口に戻る