篠山市街北方、北に船井郡、西方に氷上郡と接する藤坂集落がある。城址は藤坂集落の鎮守春日神社から北西に約1キロ、弓谷峠にかかる手前北の山に残っている。戦国時代、大芋衆の一人として活躍した中馬氏が築いたものと伝えられ、船井郡、氷上郡に通じる街道を押える格好の地にある。いまも、山上には曲輪、堀切、土塁などが残り、南麓には後裔にあたるという中馬家の屋敷がある。
中馬氏は新田氏の後裔といい、室町時代はじめの明徳年間(1390〜94)、新田義貞の弟脇屋義助の子尾張守義治が丹波に来住したことに始まるという。義治は義貞の子義興・義宗らとともに足利尊氏と戦ったが、義興・義宗が相次いで討死にしたのちは出羽、信濃と流れ、ついに丹波へと流れてきた。丹波には新田一族である江田氏・大館氏らが勢力を保っていたこと、丹波守護であった山名氏が明徳の乱で勢力を失ったこと、さらに、南北朝合一がなったことなどが相俟って丹波移住を決意させたのであろう。『丹波志』などによれば、義治から四代目の右近之進義貢は新田から中馬と改め、藤坂に新たに館を構えた。
そして、義貢の孫越前守治秀が、元亀元年(1570)に館後方の山上に築城したとされる。
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