低山歩こう記-小原


八ヶ尾山に登る

・2010年01月29日



東方の毘沙門山より遠望

篠山市の東方を走る国道173号線を綾部に向かって北上、福井交差点を通り過ぎた左前方に見えるのが八ヶ尾山である。丹波修験道の山として知られる多紀連山の東端に位置し、修験者は筱見の四十八滝で身を清めたのち八ヶ尾山の大日尾の大日如来に参拝、小金ヶ嶽から御嶽、西ヶ嶽へと続く山々を難行苦行した。丹波修験道が衰退したのち、大日如来は山麓の小原に移されて小原の大日堂としていまも崇敬を集めている。
八ヶ尾山への登山道はかつて修験者が往来した筱見の四十八滝から登るコース、小原の大日堂方面から登るコースなどが ある。また、北西山麓の川阪集落より長駆、筱見の四十八滝を経て八ヶ尾山を目指す健脚者もいるそうだ。八ヶ尾山上 からは西方に多紀連山、東方に雨石山から櫃ヶ嶽、南方には弥十郎ヶ嶽・深山、北方には京都の山々が一望できる。 八ヶ尾山は修験の山として人の往来もあったことから、山頂には戦国時代末期に明智光秀が築かせたという山城跡が 残っている。その眺望の素晴らしさから見張り所としてはうってつけの場所であろうが、よくぞこのような場所に築いたものと驚かされる。


いざ山上へ(11:58) ・弁天さま ・長閑な山道 ・黄色いテープは県警のもの ・岩場の尾根に ・さらに岩場が続く



岩場が続く ・雨石山を遠望(12:50) ・小原集落を見る ・岩場の細尾根 ・思案岩を過ぎる ・頂上へ(13:15)





八ヶ尾山は修験の山として登れば筱見四十八滝から、山城を目指して登ればイヤ谷方面からが、それぞれ あるべき登り道になるだろうか。本リポートは、弁天さまの祠よりイヤ谷西方の尾根を直登した。 多紀連山のメーンとなる御岳や小金ヶ嶽に比べるとマイナーな山だが、思った以上に道は分かりやすく、 赤いテープや県警のテープなどが要所にあって迷うことなく頂上にたどり着くことができた。
頂上(城址主郭)の三角点 ・真新しい祠 ・祠越しに雨石山方面を遠望 ・戦国山城時代の曲輪切岸址 ・遥かに小原集落を遠望 ・豊林寺城址を見る


・歩こう - 参考マップ





頂上からの展望は、文字通り360度の大パノラマで、登山の疲れなど一気に吹き飛ぶ素晴らしいものだ。 頂上の木標には世界の主要都市を指し示す木片が打ち付けられ、その手作り感がなんとも面白かった。 一方、首を傾げたのは頂上にある三角点の四隅が何故か削り取られていたことだ。何者が、どのような目的で そのような不心得なことをしたのだろうか…世の中には色んな人がいるものである。
八ヶ尾山頂上の木標 ・腰曲輪と切岸 ・西尾根縦走へ(14:00) ・冬枯れた山道 ・道を塞ぐ大岩 ・北方山麓の藤阪集落を見る



西ノ峰の大岩(14:18) ・岩を攀じって進む ・八ヶ尾山を振り返る ・急坂を下る ・p570山を過ぎる ・四十八滝との分岐を左へ



長谷山方面へ ・分岐標と八ヶ尾山(15:10) ・荒れた山道が続く ・谷越しに八ヶ尾山 ・長谷山の標(15:53) ・無事、弁天池に到着(16:45)


下山は修験者たちが四十八滝から登ってきたという西尾根から、長谷山を経て弁天池を目指した。 西尾根は修験の山だっただけに大岩を縫いながら攀じ歩く難路だが、おりおりに見える遠くの山、 山麓の村々の眺望が疲れを癒してくれる。四十八滝の分岐を越え、長谷山を過ぎたあたりから 山道が薄くなり最期は道なき尾根を下る破目となったが、戦国山城あり、修験者の気分を味わえる岩場あり… と野趣に富んだ山歩きが楽しめた。つぎは、四十八滝方面へと続いていた広々とした雑木林の 沢を歩いてみたいものである。

【登山メモ】
弁天様スタート:1158 → 雨石岳遠望:1250 → 思案岩:1305 → 頂上:1315→1400 → 四十八滝分岐:1508  → 長谷山:1540-1600 → 弁天池:1645 → 弁天様:1653


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藤阪(八ヶ尾)城址  筱見四十八滝を巡る


【お奨めリンク: 八ヶ尾山川阪から八ヶ尾山へ峠山 から八ヶ尾山