篠山市の今田地区には、住吉神社が村ごとに鎮座している。これは、今田地区がかつて摂津住吉大社の
荘園「小野原荘」であったことによる。すなわち、鎌倉時代の文保年間(1317〜19)に、小野原荘の氏神として
住吉大社の分霊が小野原の地に勧請、創建された。それが、のちに黒石・本荘などに分祀されたことで住吉神社が
おおいに広まったのである。
住吉大社に伝来する『住吉大社神代記』によれば、播磨国賀茂郡の椅鹿山(はしかやま)を杣山として領有していたことが
記されている。椅鹿杣山は播磨から有馬・丹波に亘る広大な地域で、船木連の遠祖が領有していたものを、
神功皇后の時代に船木宇麻呂・同鼠緒・同弓手らが住吉大社へ寄進したという。この杣山の一部がのちの多紀郡小野原荘となったもので、おそらく、小野原の住吉神社は
杣山の総社として鎌倉時代以前には勧請されていたのではなかろうか。
いま、住吉神社が今田と境を接する播磨・摂津にも多く鎮座しているのは、丹波西部から東播磨・北摂津一帯が椅鹿杣山として
住吉神社の領有するところであった歴史を伝えたものであろう。
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