本殿には神紋「下り藤」を染め抜いた幕が
境内には末社・摂社が散在する 境内から西光寺山を遠望
国道362号線の本荘交差点を姫路方面に向って右折、すぐ右手の山麓に真新しい鳥居が見える。それが、本荘村の鎮守住吉神社だ。祭神は底筒男命のほか、大歳神、天児屋根命、火結神で、黒石の住吉神社から分祀されたことに始まる。古面をもって御霊代(みたましろ)を分霊したことから「面の宮」とも称された。明治時代、西光寺の荒神神社、荘中の大歳神社、芝の川の春日神社を合祀、境内には牛頭天王社、島姫神社、太神宮社、稲荷社、愛宕社、大歳社、天満宮などの末社・摂社がズラリと鎮座している。
この神社には、かつて西光寺山山腹に所在した金鶏山西光寺に伝来した大般若経六百巻のうち、二百巻が所蔵されている。西光寺が廃寺したとき、一巻から二百巻は播磨の鴨上神社、四百一巻から六百巻は西光寺山東山麓に鎮座する中畑の住吉大明神、二百一巻から四百巻が当社に移し伝えられたものである。大般若経二百巻のうち、奥書紀年銘のあるものは十六巻で、最古のものは院政時代の「保安五年(1124)/蔵次/辰/二月十九日」銘、南北朝時代の「貞治六年(1367)丁未霜月廿七日/ 丹州西光寺東北坊云々」銘のものなどがあり、中世、おおいに繁栄したという西光寺の存在を裏付ける史料として貴重なものである。また、平安時代末期の作といわれる毘沙門天像も伝来している。
神社を訪ねたとき、本殿周囲が工事中であった。どうやら本殿背後の石垣を積みなおしているようで、本殿の真後ろには「磐座」と思しき岩が剥きだしに見えていた。来年の正月はきれいに整備された「磐座」を背負った神社に初詣ということになるのだろうが、いささか古式が失われたようで残念に思ったのは取材者が余所者のせいであろう。
写真:本殿背後の「磐座」と思われる岩
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