細工所城は荒木城・井串城とも呼ばれ、天文年間末(1550年ごろ)に荒木城守氏香(氏綱ともいう)が築いた山城と伝えられている。
山城守氏香は、波多野秀治に属し「丹波鬼」と恐れられた勇将であったが、天正5年(1577)、明智勢の猛攻をうけ落城し
降伏したと伝えられている。山上にある城跡への道は雑木林に覆われ、主郭手前の急坂には登山用のロープがあるなど、
楽々とは登らせてもらえない。主郭は意外な広さで、四方の尾根に曲輪が連なっている縄張りは、なかなかの要害であったことが
実感できる。城址山麓にある民家の傍らの薮の中には、荒木一族のものと伝えられる古い五輪塔が祀られている。また、
氏香が再建したという霊輝山瑞祥寺には、那須与一大権現が祀られ、武運長久、諸願成就などとともに中風封じに霊験があるとされている。
瑞祥寺の境内の墓地を歩くと、荒木家の墓があり「葉牡丹」の紋が刻まれていた。ひょっとして、城主であった荒木氏につながる荒木家のものであろうか?
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