篠山の祭り


追入神社の三番叟


旧多紀郡と氷上郡を結ぶ鐘が坂には、明治・昭和・平成と建造年代が異なる三つのトンネルが通じている。 かつての旅人は、鐘が坂の多紀郡側の宿場追入で一息いれて峠を越していった。追入神社の三番叟(さんばんそう)は、 江戸時代より追入を往来した専業の能楽師や、旅から旅へ渡り歩くデコマワシの芸人たちの手で 村人に伝えられたものだといわれている。
一説によれば、阿波から来た旅芸人が、但馬の香住方面へ三番叟を奉納にいく途中、追入に宿泊し 宿賃を払う代わりに三番叟を教えたものという。一方、山南の和田に住んでいた八子大夫という能楽師が伝えた、 ともいわれている。寛政十一年(1799)、八子大夫が大山全体の氏神である神田神社で翁舞を奉納したこと、 そして子ども狂言が奉納されたことが記録に残されている。この子ども狂言が追入神社の「子ども三番叟」の ルーツと目されている。



幟に幔幕、提灯に御輿と祭礼ムードが溢れる追入神社


三番叟


音曲も謡もないが、子供たちが一所懸命に踊る舞台は素晴らしい


鈴の舞


合間に清酒で舞台を清めたのち、鈴の舞が演じられる



追入神社の祭礼で行われる「三番叟」は、篠山市内では唯一のもので貴重な民俗芸能である。 池尻神社の人形浄瑠璃のように保存会こそないが、追入集落全体で保存に努められ、 その意識も高いという。
まず、面を着けない三人の子どもが一人ずつ、一番叟、二番叟、三番叟と 続けて踊る。合間を入れたのち、白い翁面と黒い翁面(黒木尉と白木尉)を着けた二人の子どもが 「鈴の舞」を奉納する。 かつては笛や小鼓を囃子に用いたらしいが、現在はまな板状のツゲ板の上で拍子木を打ち鳴らし、 そのリズムに合わせて子どもたちが順番に舞っていく。子どもたち踊るさまは、まことに真剣で、 相当の練習量をこなしてきたことがうかがわれる。 見物人が少ないのが勿体無いが、懸命に演じられる舞台上の所作は微笑ましく、 見入っているうちになんとも愛でたい気持ちに満たされる芸能だ。
「三番叟」「鈴の舞」が無事に奉納されたのち餅撒きが行われた。 餅撒きに先立つ自治会長さんの挨拶を聞くと、 追入集落に住む人のうち45%が六十五歳以上の高齢者だという。高齢化と少子化は現代日本が抱える 深刻な社会問題であり、そこで失われつつあるものの多さ・大きさなどを考えると 心が冷えてくる。追入神社の「三番叟」「鈴の舞」が、これからも変わることなく続いていくことを願ってやまない。 そして、この民俗芸能の素晴らしさを、より多くの人々に追入神社の境内に足を運んで実感してほしい。

・餅撒きで拾った餅、景品までもらってしまった。

【撮影:2009年10月11日】

→2008年の祭礼 追入神社