旧多紀郡と氷上郡を結ぶ鐘が坂には、明治・昭和・平成と建造年代が異なる三つのトンネルが通じている。
かつての旅人は、鐘が坂の多紀郡側の宿場追入で一息いれて峠を越していった。追入神社の三番叟(さんばんそう)は、
江戸時代より追入を往来した専業の能楽師や、旅から旅へ渡り歩くデコマワシの芸人たちの手で
村人に伝えられたものだといわれている。 一説によれば、阿波から来た旅芸人が、但馬の香住方面へ三番叟を奉納にいく途中、追入に宿泊し 宿賃を払う代わりに三番叟を教えたものという。一方、山南の和田に住んでいた八子大夫という能楽師が伝えた、 ともいわれている。寛政十一年(1799)、八子大夫が大山全体の氏神である神田神社で翁舞を奉納したこと、 そして子ども狂言が奉納されたことが記録に残されている。この子ども狂言が追入神社の「子ども三番叟」の ルーツと目されている。 |