苗字研究の手引き
苗字の語源
日本の法律用語では、氏・名とよんでいるが、一般社会では「氏」を姓・苗字・名字とよんでいる。「家」という制度は崩壊して、現在では、家とか家名あいう言葉は法律上でもありえないのに、家の歴史を探究調査している人は多い。そこで、まず、氏・姓・名字・苗字の日本にいおける由来についてみてみよう。
「氏」は、血縁または職業を同じくする人々によって構成された部族の公称で、その首長を神格化したのが鎮守で、この氏がのちに家名の代名詞、または□□氏というように敬称にも変化した。戦後の法律では、名前の前半につける呼称と見なされるようになった。
「姓」は、本来は血筋を表わす呼称で、骨名(カバネ)と呼んでいたが、後に家格を表わす姓になってから誰しもが上位の姓に憧れ、朝廷の許可がないのに、身分の高い姓を僭称する者が続出し、政府も規制することが不可能となったので、次第に姓の尊厳性が失われ、姓は単なる家名となり、氏と姓の区別が曖昧になり混同してしまった。
「名字」は、天平十五年(743)、開墾地の私有が認められたことから、平安朝時代より開拓者や土地支配者が、土地の領有を宣言する意味も含め、地名を家名としたことに由来するといわれるが、家名を地名とした例もあり、地名と家名のいずれが早いかは、鶏と卵のような議論となって判然としない場合が多い。しかし、名字を名乗っていやのは豪族でその豪族たちは常に武力で「家」の威勢を誇示していたので、必然的に、名字は武家の名誉を象徴し、余人の僭称を許さない特権的色彩が濃くなっていたものと考えられる。
「苗字」は、稲の苗が分かれて増殖するごとく、子孫も分家からさらに分家が生まれて繁栄するようにと念願して名付けられたものと考えられる。
江戸時代になり、貴族または武家のほかは家名を名乗ることが許されなかったにに、特に功績を認められた学者・医師・農民・町民に、幕府または藩主が許可した家名が生まれ、また明治初期に公布された「苗字必称義務令」によって多数の家名が創作されたが、これらの家名は大衆的色彩の濃いもので、氏姓や名字とは異質の呼称であると考えたほうがいいようだ。
いずれにしても、氏・姓・名字・苗字の由来はそれぞれにあって、現在ある家名の多くが、氏・姓・名字・苗字のいずれか区別することも難しいので、この文では苗字と総称したい。
名字調査の目的
日本の苗字は、諸外国の家名に比べ、その数がきわめて多いことに特色がある。苗字に関しての研究目的を大別すれば、以下の四項目に分類できると思う。
(1)戸籍法・外国人登録法・家庭裁判所判例などの国内の法律や、外国の戸籍法およびこれに関連する法律にもとづく解釈と事務処理をっ研究するもの。
(2)事業または社交の拡大を図るために必要とするもの。
(3)歴史・人文地理・文学・民俗学などの角度から、血胤と家系・苗字の縁起と変遷、地域的にみた苗字の分布と異動、苗字と地名および苗字と家紋との関連性、字体と訓読の関係などを探査する調査。苗字の研究のうちで最も興味をひかれる分野でもある。
(4)占断や、前各項に該当しない趣味の立場での調査。
この分類をみても苗字の研究は多岐にわたり、その解明にも困難な課題が無数にある。先祖を調査する場合にもまず苗字からはじめていくのが、その第一歩であるが、その道はまことに険しいというしかない。
苗字はいくらあるのか
日本の苗字は約十万姓以上あるといわれているが、少なくとも現在の時点ではその実数は完全には把握されていないのが実状である。それでは、何故実数がつかめないのか。ひとつには、実数を数える場合に明白な定説がないことが挙げられる。
第一に、全国規模で極めて稀少の苗字までも洩れなく集めるには国勢調査に等しい手段によらなければ万全とはいえない。つまり民間人の資力と努力による調査にはおのずと限界がある。
第二に、苗字の中には、戦国時代などに栄えた家名であっても、現在では衰減してしまったものもあり、また家庭裁判所で改姓が容認されて消滅した苗字もある。これらの消滅した苗字も包含すべきか、どうかの定説がない。
第三に、日本に帰化じた外国人のために、あるいは両親が不明の遺児のために新設される苗字は、行政指導によって当用漢字あるいは人名漢字を用いることになっているので、既に戸籍簿に登録されている氏の文字のほかに、新しい字体が出現することはありえないが、旧字を用いていた苗字のほかに当用漢字に改めた苗字になる、この場合、別個に数えるか、どうか。
第四に、同じ字体の苗字であっても、まったく異なった訓読をもつ場合、ぞれとは別に
大田 オオタ・オオダ
烏丸 カラスマ・カラスマル
八田 ハッタ・ハチダ
などのような、清音・濁音・促音などの相違を重視して、それぞれ別個の苗字であると主張する人が多数いる。しかし、これらを別個の苗字として扱うか、どうか、これも定説がない。
日本の四大姓
四姓といえば源平藤橘で、日本の代表的家名であり、先祖を調査する人にとって重要な家名である。ところが源氏といっても、その祖先は、嵯峨・淳和・清和・陽成・宇多・村上などの諸天皇に始まる諸流があり、平氏にしても、桓武・仁明などの天皇を祖先とするものがあるので、家系を調べるときに、先祖が源氏であるからといって、源義家の同族と思うのは早計である。
しかし、藤原一族は藤原鎌足が先祖で、その一族の繁栄は、藤の字のつく苗字が多いこよを見ても明白である。これを代表しているのが十六藤とよばれる以下の苗字である。
安藤・伊藤・遠藤・加藤・工藤・後藤・近藤・佐藤・斎藤・春藤・進藤・須藤・内藤・尾藤・武藤。いずれも藤原の「藤」に、縁故のある地名、または職掌に関係のある字を結び付けた家名である。
苗字の起源
明治三年九月、「平民苗字許可令」が公布され国民全部に苗字を名乗ることが許されたが、庶民は御用金を申し付けられるのではないかと疑った。また僧侶は出家の身だから苗字は不要であると政府の命令に従わなかったので、明治五年九月「住職僧侶名字必称義務令」を布告した。それでも庶民は苗字を名乗ることを躊躇していたため、明治八年二月、「平民名字必称義務令」を布告して強制的に家名の創設を命じた。しかし、無学の者が多かったので、これらの人々は、文字を解する神官・僧侶・家主などに命名してもらったが、なかには命名に窮し、それがために珍姓が出現したことも、笑えない事実である。とはいえ、珍姓がすべて明治初期の所産であると見るのは危険である。
そこで苗字の発生した根拠を尋ねてみると
(一)天孫・地祇(先住豪族)・天皇の子孫に授けられた氏姓。
(二)朝廷や幕府・主家などから授与、または許可された家名。
(三)世官名・世襲名などを、後世に伝えるため、その他の理由で、氏姓としたもの。
(四)氏族の領有地・または分派により取得した土地の名、あるいは種族構成などに縁故のある用語にもとづいて命名した姓氏。
(五)明治初期の太政官布告により創設された苗字。
(六)日本に帰化じた外国人、または両親の不明な遺児のために創設した苗字。
などに、大別できると思う。
それでは苗字の文字と読み方は、何にもとづいて選ばれたのか。
(1)住所または出身地や領域の地名、あるいは地形・方位から命名したもの。東西南北・上中下などの字のつく苗字は本家の位置からみた分家の苗字に多く見られる。
(2)信仰・宗教にちなむ神仏の名・社寺名・葬式・行事または伝説に関連した用語。
(3)先人の徳望を敬慕して、その人名や徳望を表現したもの。
(4)祖先の官職名または職業名を苗字としたもの。
(5)家に伝わる故事来歴、由緒による苗字。
(6)前項の(二)のほかに、主家の家名を用いる不敬を避けるとか、敵の目を逃れるためういは分家したために、本家の文字を分解(小柴を小比木とする)したり、また統合したり、他字(松平を松日楽にする)にしたり、読み方を変えたりしたもの。字の点を取った文字を用いた苗字もある。
(7)天象・周易・神秘・畏敬・憧憬の念を表わして命名したもの。武器や飲食物・動植物・家具の名を用いたものもある。
(8)修養に心掛け、人倫五常などの座右銘・経文・古典などの語句からとったもの。
(9)瑞祥を祈願し、または優雅を慕い、嘉字や数字・形状・色彩などで表現したもの。
(10)その他、特殊な例。
などが、考えられる。
訓読の由来
では、訓読の由来について、若干の例を見てみる。
十八女(サカリ)の場合、安徳天皇は実は女帝で阿波に逃れ、供をした湯浅但馬が萱野の開拓した地で十八歳を迎えられたので、十八女村の地名が生まれたという。
金魚(キンギョ)は、壇ノ浦で敗れ、引島に逃れた人が、徳川時代に家名を金魚とよび廻船問屋を営み繁盛したことから、その地を金魚の浜と呼ぶようになったという。
石渡(イシワタ)は岩礁に流された日蓮上人を漁民が戸板を岩から岩に並べて助けたので、日蓮が感謝して漁民に与えた家名であるという。
大仏(オサラギ)は鎌倉長谷の大仏を建立するときに大木を伐り出した地に名付けた地名で、北条氏の一門大仏陸奥守の邸宅があった。陸奥国岩代の大仏氏はダイブツと名乗った。大仏が鎮座している高徳院の大正初期の住職は転法輪(テボリ)さんといい、仏教用語のテンホウリンを家名にされたという。
宿屋(ヤドヤ)は、鎌倉幕府が開府され旅人が増加したので、長谷に宿屋が出現し、この地にいた武将が宿屋の地名を家名とした。
少ない例だが、苗字の訓読にも長い歴史があることが理解できてくるのではないだろうか。
・篠崎 晃雄氏論文から(抄録) 日本姓氏総覧(S51.06)新人物往来社刊
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