姓・氏・名字の雑学
氏と姓と苗字/ 姓氏の起源/ 苗字(名字)の起源/ 苗字と名字/ 古代姓氏の分類(神別)



氏と姓と苗字

 現代社会にあって、「氏名」「姓名」、あるいは「苗字と名前」というように氏・姓・苗字ともに個人の名前に対応する「家の名」の同義語として用いられている。しかし、氏・姓・苗字を歴史的・発生的にみてみると、それぞれの時代の社会や政治を反映したそれぞれ別の意味を有している。
●氏(uzi)
 ウチ(内)、ウミチ(生血)、ウミスジ(産筋)から、朝鮮語・蒙古語に発生を求める説がある。同じ祖先をもつ家族の集団、つまり擬制的なものも含めて血のつながりによって成り立つ同族の集団である。大化以前では、この氏による集団が、社会的にも政治的にも基礎となる集団だった。その統率者を氏上(uzigami)と呼んだ。
●姓(kabane)
 姓をカバネと呼ぶ場合、氏に付いてその職掌・家格や尊卑を表わす呼称である。カバネとは、女性の血肉(皮)と男性の骨によって出生したことを意味する皮骨(kawabone)という言葉を縮めた古代語。氏を基礎単位として、それを姓によって秩序づけたのが、いわゆる氏姓制度であり、大化以前の大和政権の支配形態であった。
●苗字/名字(myouzi)
 発生的には、名字が先だろう。荘園制度によって土地を所有した名主は、土地の所有を表明するため、土地に自分の名をつけ、所有地を名田と称した。氏から分かれて独立派生駿時代になると、所有地の字名(azana)を家名とする風習が生まれて、この家名を名字とよび、広大な領域を持った者をのちに大名とよぶようになった。苗字のほうは、平安時代になって子孫が繁栄することを期待して、吉祥を意味する文字を選んで家名とする風習が生まれ、これがのちに苗字と呼ばれる語源になった。
 氏姓制度の時代では、氏と姓を称することで社会的地位や政治的権力を示すことができたが、大化以後は、姓制の改正が行われたり、新旧氏族の興亡などがあって、特定の氏(源平藤橘)が権力を独占するようになると、姓本来の意味は失われていった。
 さらに氏が細分化して日常的な呼称として苗字が生まれてくるのだが、正式の名称として氏や姓がなくなってしまうわけではなく、ことに氏は先祖の家柄を示すものとして重要な意味をもった。

足利 左馬頭 源 朝臣 直義

苗字 職名  氏 姓  諱

この場合足利氏が源の出自であることを示す氏の名であり、朝臣は姓で源という氏の名に付随する慣例的な呼称。
 しかし、歴史の流れの中ではこうした氏の名も形骸化し、忘れさられ、苗字が一般化していった。それでも苗字の発生をたどっていくと、千数百年前の氏や姓にいきつくこともまれではなく、古い氏・姓が、連綿として生き続けている姿をみることとなる。


姓氏の起源

 氏の名を称するようになったのは、五世紀末から六世紀にかけての時期と想定される。それ以前はたとえば「卑弥呼」のように氏の名を冠してはいない。
 氏の名をみると、「地名」に由来するものと、氏の「職業」に由来するものとがみられる。
地名に由来するものとして
 葛城・平群・蘇我・巨勢・藤原などは中央の政治にも参画した畿内の有力豪族。また、尾張・日向・筑紫・上毛野・吉備などは地方の豪族。さらに帰化人には、泰・高麗・百済・漢など母国の名を用いたものがあるが、これも地名に含めることができよう。
職業に由来するもの
 いわゆる名負いの氏は、神事にたずさわった中臣・忌部、軍事を担当した大伴・物部・久米などがあげられる。 姓は、もと氏人が氏上に対して用いた尊称であったともいわれている。それが氏姓制度という社会的・政治的秩序に組みこまれることにより、氏と姓を併称する日本古代の姓氏となったと考えられる。


苗字(名字)の起源

 氏や姓とは別に苗字(名字)が家の名として世襲されるようになるのは、平安末期からだ。氏という大きな集団のなかから家父長的な家族が独立して、独自の家名を称え始めたのである。
 その一派に公家の称号がある。これは主としてその公家の住む地名をとって呼称としたものだが、男子が結婚して妻の家に住んでいた間は、当然これが父から子へ世襲されることは少なかった。つまり父子代々称号が異なったのである。

(藤原)
閑院冬嗣 -- 一条良房 -- 堀川基経 -- 小一条忠平 -- 九条師輔


 しかし、やがて家長の住居である本第を中心にして、代々一家の本拠地が定まってくると、この称号も世襲され苗字として来ていされていった。
 近衛・九条・三条・勘解由小路などはその本第の地名、山科・醍醐は山荘のあった地名、西園寺・徳大寺は祖先の建立した寺院名による。
 また地方では、このころ在地の領主や中央から下ってきた官人による所領の開発が盛んに行われ、彼等は一方では自家の権威を示すため旧来の氏の名を用いながら、他方では自らの本拠地の名(myou)を一族の名称として名乗るようになった。名を字名(azana)としたことから、これを名字という。これが土地とともに世襲され、公的な家の名として認められていった。
 このように、公家の称号にしても、武士の名字にしても、苗字の起源に土地の名に由来するものが多いのは、このような理由によるものだ。

名字の発生  ●新田氏の例 ●足利氏の例


苗字と名字

 字義のごとく解せば、名字は名田の名に因む字名、苗字は苗裔の名で子々孫々、家系を同じくする人々の集団、というこになろうか。発生からすれば名字が古く、意味も限られてくる。苗字は一般的である。江戸時代には苗字帯刀のように苗字が用いられている。しかし、現在ではそのような差異なく、同じ意味にもちいられている。
 現在日本の苗字(名字)は十万とも十数万ともいわれ、正確な数は把握しがたいが、世界に類をみない多様性を有していることは間違いない。その発生もまた多様性をもっている。


古代姓氏の分類(神別)

●天降った神々の姓
物部氏
饒速日(nigihayahi)命の子孫。モノノフの語が物部よりおこったとされるように、武勇をもってしられる氏族。
石上・穂積・弓削・葛野・高橋・額田・長谷部・日下部・今木・内田など。
中臣氏
祖・天児屋根(amenokoyane)命は祭祀をあづかり、神と人の中をとりもつ意からこの名が出た。
大中臣・津島・中村・村山・平岡・藤原など。
大伴氏
高皇産霊(takamimusubi)神を祖とする。
佐伯・大伴大田・大伴山前・榎本・林・神松・家内・高志など。
日奉氏
大伴氏と同じ高皇産霊神の末。天照大神を祭るための氏族。
小山・久米・弓削・斎部・玉祖・玉作・伊与部・恩智・荒田・畝尾・飛鳥など。
県犬養氏
神皇産霊(lkamimimusubi)神の末。犬を飼育し狩猟にあたる。
竹田・間人・矢田部・巨椋・丈部・祝部・犬養・田辺・多米・今木・爪工・川瀬・高野など。

●土着の神々の姓
大国主命(出雲族)の末--石辺・宗形・賀茂・長柄など。
綿積命の末----------安曇・海犬養・安曇犬養・凡海・八太など。
椎根津彦命の末-------青海・倭太・大和・物忌・等禰など。

●天孫族の姓氏
神武天皇以前に皇族から分かれたとされるもの。
火明(hoakari)命
天忍穂耳(amenoosihomimi)命の子で、瓊々杵(ninigi)尊の兄。
尾張・伊福部・湯母竹田・石作・檜前舎人・榎室・丹比須布・但馬海・大炊刑部・坂合部・丹比・伊与部・六人部・朝来・津守・笛吹・次田など。
天穂日(amenohohi)命
天忍穂耳命の弟。出雲に国土奉献を勧告に出向いたまま、大国主命の女下照姫と結婚、出雲に土着した神。 出雲・入間・神門・土師・菅原・秋篠・大枝・凡河内・石津など。
天津彦根(amatuhikone)命
天穂日命の弟。各地国造の祖。
額田部湯巫・三枝部・奄地・高市・桑名・山背・額田部河田・山代・津夫江・大県など。
火須勢理(hosuseri)命
瓊々杵尊の子。母は木之花佐久夜卑売。日子穂穂出命の兄。
阿多御手犬養・阿多隼人・二見・大角隼人・日下部・坂合部。
天道根(amenomitine)命
神魂命の五世の孫。
滋野・大村・大家・大坂・伊蘇路。

[資料:日本姓氏事典(新人物往来社刊)]




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