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●葵紋
本来は京都賀茂神社の神紋。『見聞諸家紋』では、丹波国船井郡の豪族西田氏が用いている。室町幕府八代将軍のころには、まだ徳川氏の家紋として表われていない。西田氏の場合は、古く丹波地方に賀茂信仰が萌していたことによるらしい。デザインはリアルな二葉立葵。三河地方の土豪松平、伊奈氏など周辺豪族をふくめて家紋の発達をみるのは、加茂郡そのものが奈良朝期すでに神戸があったからで、賀茂信仰が古くから盛んであったことによる。つまり、氏子豪族の表示。徳川家特有紋となるのは、慶長十六年以降のこと。
【三ッ葉葵】 |
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●稲紋
『長倉追罰記』によると、熊野の神官鈴木氏が用いている。宇多源氏を称した亀井氏(津和野藩主家)は、紀州熊野の穂積氏の出自よいわれる。
【抱き稲】 |
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●井筒/井桁紋
『文正記』には甲斐氏がみえ、『見聞諸家紋』では石井・長井氏がみえる。一般に広く知られているのは、遠江から出て彦根藩主となった井伊氏。いずれにしても井の字を、書き文字か図案化したもので、指示的性格をもつ。戦場で旗指物にした場合、一目瞭然で分かりやすかったのであろう。
【平井桁】 |
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●馬紋
『見聞諸家紋』では、贄川氏や平野氏の「放れ馬」がみえる。平将門の後裔とする相馬氏は、下総の相馬から出て陸奥の相馬郡へ本拠を移し、馬の飼育放牧を司った。「繋ぎ馬」を家紋に用いている。
【繋ぎ馬】 |
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●梅鉢紋
前田家一族の紋章として広く知られている。素型は六曜星紋から天神紋へ変わり、利家の晩年頃に軸付きの梅鉢紋が生まれている。三代利常に及んで、本・支を明らかにするため剣梅鉢、丁字梅鉢などと多様化した。大和の筒井氏も天神信仰により梅鉢紋を使用。
【梅鉢】 |