羽継原合戦記を読む


 『羽継原合戦記』は、別名『長倉追罰記』ともよばれ、永亨七年足利幕府が長倉遠江守を追罰した戦記物だが、そこに全国諸豪が勢ぞろいした、そのときの陣幕の紋が列挙されている。これが当時の紋を知るうえで重要な手がかりとなる。
 というのは、ここに記されている諸豪の紋は中世の、すくなくとも江戸時代以前の家紋あからである。歴史的にみてもかなり古い。但し、はたして室町時代、それも永亨の頃のものかどうかとなると相当の検討を要する。学者によっては、江戸時代初期のものではないかという説さえある。しかし、この合戦記は、戦が終わってからほど遠からぬころに書かれたものではないか、と考える方が自然なようだ。


羽継原合戦記(長倉追罰記)


同年十月廿八日。結城宇都宮相続。籌をいはくの中に廻し。長倉遠江守開陣畢。
彼の遠江守。名を日本に上。誉を八州に振。此時某打ちめくり。次第不同にうちなかすまくのもんをそかそへける。
御所の陣かとおほしくて。梢の冬のなか空に桐のまんまく二引。御一家もみなこれ同し。
竹に雀は上杉殿御両家。九ともえは長尾か紋。水色に桔梗は土岐の紋。斎藤かなてしこ。鹿は富樫之助。伊勢国司北畠殿のわりひし。大内介からひし。甲斐武田をわかさの守護は武田ひし。半月に丸ひしは興津左衛門。越前の織田と山佐の河内守か瓜の紋。秋元も是を打。朝倉かみつもつかう。飛騨国司姉小路殿は日光月光。月に九えうは千葉之介。八えうは上総介。三引両は三浦之介。小山は左巴也。朝比奈も是同し。但遠江の朝比奈はけんひし也。宇都宮は右巴なり。行方岡部も是を打。永井と那波は。三つ星に一文字にて。昔の因幡守広元か末葉毛利の一家にて。一品と云字の表体也。
三文字松皮は赤松と小笠原。四つ目結は佐々木判官。十六目結は本間の四郎。海老名は庵に瓜のもん也。松に鶴は高井左衛門。さんきにさるは(注1)洲西かもn。牛の尾かへふねつる。楠浦加月にほし。極楽寺か水車。三本杉は狩野介。但たかの羽を打事も有。山中かさかりふし。めひきかこは松田かもん。葛西はかしは。大石の源左衛門はいてうの木。五ほん筋は結城七郎。但ともへを打事も有。永楽の銭は三河国水野か紋。中条はさゝの丸あしなし。すはま(注2)小田の大輔。しゝにほたんは多田の三郎。萩の矢も是をうつかふら矢は。武蔵国の住人太田源次郎也。十六葉の菊の紋は野田福王かもん也。團に菊(注3)は児玉たう。簗田はおほひ。わちかいは高家のもん。たてつな(注4)は二階堂。同六郷も是を打。しゅろの丸は富士の大宮司。きほたんは杉かもん。内藤備前かりうこにてまり。楠薬師寺か菊水。小山の薬師寺かともえの紋。久下は一番と云文字。あけはのてうは伊勢守ひろなりも是を打。まひさきは御櫛のもん。
北条殿三うろこ。同横井も是を打。大極入道は巴のもん。緒方佐伯も是同し。神保か藤の丸。椎名かおもたか。大戸羽尾か飛つはめ。十文字は島津左馬頭。一文字伊東六郎。鷹の羽は菊池もん。熊野鈴木は稲の丸に榊也。とひなり鱸(注5)はまな板にまなはし(注6)。三河鈴木は藤の丸。大すなかしは泉安田。三本からかさ名越の紋。小もんの皮は秩父殿。かりかねは安部との。八つほしは飯塚。すみをしきに三文字は伊予の国の河野の一党。備前こしまは品の字。駿河小島は八の字。下総の境はともへ。是は千葉のそうとかや(注7)。ささりんとうは石川。もつかうは熊谷。車は伊勢の外宮榊原か紋也。鳥居のもんは。八幡の神職。宮崎の法印か紋也。七星は望月。梶の葉は諏訪のほうり。三たうし(注8)は皆岐の八郎。宮原も是を打。矢はつくるまは服部。松に月は天野藤内。帆かけ舟は熱田大宮司。山城かすかなし。水にかりは小串五郎。粟生原かかやくのもん。
ひすつるは南部かもん。庵のうちの二頭のまひ鶴は。天智天皇の後胤葛山備中守。御所も是を打。扇に月の書たるは。常陸の佐竹かもん也。地黒菱は板垣。松皮に釘貫は阿波の三好かもん也。一宮は日雲也。左巴は下枝の紋。まひ違い雁は櫛置のもん。根引松は常葉のもん。下条は梶の葉。折野は木瓜。板西は丸のうちにまつかはのもん也。山中は日扇。溝口は井桁。但三葉かしを打事も有。高畠は違かふら矢。松の尾は丸の中にまん字。二木はちきりを打。松岡は瓜のもん也。赤沢は松皮に十文字。遠州の小笠原松皮菱に水落。九曜星は標葉也。山辺。西牧は梶の葉を打。犬甘平瀬島は一党石畳後聴(注9)其外。
幕の数々当世はやる国々の作り名字の幕つくしうてほうたひに立ならふ。能々見れは長月の秋の末葉のをき。すゝき。尾はな。かるかや。おみなめし。野分の風に打なひき。時雨や露にくちはてゝ。ふゆの野陣のまくそろへ、中々難尽筆。



■注解説

注1 さんきにさる
「算木に猿」の意か猿紋は’後世、ぬいぐるみの猿のかつらのような形があるが、中世ではみあたらない/「さる」は「つる」の間違い。筆書体の「佐」は「津」に似ている。『関東幕注文』にも「周西彦九郎。つこうの内に舞鶴 さん木」とある。「二つ引両に立ち鶴」と考えられようか。
注2 あしなし。すはま
これは二句に分かれず一句で「足無洲浜」のこと。かつて足のある洲浜もあった。但し、いまは足付洲浜はほとんど消失している。
注3 團に菊
「團子菊」または「團に菊」と解する例もあるが、やはり児玉という名字からも團はウチワで「団扇に菊」と解したい。
注4 たてつな
これは古来、謎の紋であったが、最近発見された。たて綱ではなくタテズナ(立砂)と呼ぶ。貴人の家の車寄せの前の左右に編笠形に丸く盛り上げた砂。車のクビキやナガエをもたせかけるためにつくったもの。掲載した紋は「三つ立砂」。
注5 とひなり鱸
「とひなる鱸」と読むのが正しい。とひとは土肥のこと。鈴木一族を区別して鱸をあてたと思われる。
注6 まな板にまなはし
まな板に真魚箸で、ともに料理をするまな板と箸。実形不明。但し、長方形の板に二本の箸が並んで置いてあるものと想像される。「合子に箸」の合子の代わりにまな板を置けばよいのではないか。
注7 千葉のそうとかや
千葉の「そう」ではなく「そし」が正しい。つまり庶子のこと。
注8 三たうし
三たうしは、御手洗と読むのが正しいと思われる。神社の境内に置かれた清めのための手洗い。紋はその形をかいたもの。但し、その実形は伝わっていない。
注9 後聴
名字でゴチョウと読む。珍しい名字だが現在もある。




【家紋百話-上巻 丹羽基二氏著/河出書房新社刊に拠る】