イーハトーブ紀行

●花巻界隈
●八幡平から盛岡、小岩井戸農場へ
●遠野物語のさとへ


【岩手】【遠野】

(地図があります) 【花巻界隈】
明治29年8月27日(1896)花巻に生まれ、 銀河鉄道、山猫、又三郎……たくさんの物語を残して昭和8年9月21日に37歳で逝った農業青年-宮沢賢治。 今年1996年の夏は、彼の生誕100年にあたるらしいねん。「銀河鉄道の夜」の1読者(あの猫のでるアニメ映画もよかったでー)としては、こりゃー岩手に行かんとあかんやん。というわけで行ってきましてん。今、岩手は「イーハトーブ」とかいうねんて。これは岩ででけた豆腐でイーワトーブ?…んな訳はおまへん。
岩手は旧仮名使いで「イハテ」その「テ」をエスペラント風に「ト」と、さらにドイツ語で場所を表わす「ヴォ」をつけてイハトヴォ、それが訛って「イーハトーブ」の出来上がりちゅうことやねんて。宮沢賢治の処女詩集「注文の多い料理店」の広告チラシに登場したのが、世に出た最初とか。でも、現代のマンションとか団地でよく見聞きする「何とかヒルズ」「何ちゃらヴィラ」「何々が丘」などなどのとんでもない不動産屋的発想の、これなら「客がひっかかんで的名称」に比べると、ずーっと「イーハトーブ」の方が、ずーっとえーけどね。でー、宮沢賢治が、岩手の風土に立脚しながら、心のなかにさまざまえがいていた夢の世界「イーハトーブ」への第一歩は、新幹線「新花巻駅」。東京駅から約3時間かかりました。ちなみに(どうでもえーけど)播磨からやと、電車を乗りついで何と約8時間もかかる計算。東北ってほんまに遠いとこやね。しかも着いた途端に雨でっしゃろ。うーん、東北って……。先ず、雨のなかを、5000円札にのってはる新渡戸稲造翁を顕彰する新渡戸記念館へ、新渡戸さんの先祖って関東出身で、平家の子孫の千葉氏やねんて。ちゅうことは、(またまた、どうでもえーけど)北辰一刀流の千葉周作とも同族になりまんねんな。知ってはりました?そして、小高い山道をぶらぶらと歩いてゆくと木々の向こうに宮沢賢治記念館、そこから見下ろす雨に煙る北上川は絶景やった。また来た山道をぶらぶらと下りるとイーハトーブ館。その途中に賢治が残した設計図をもとに造ったとかいう花壇がありました。でも正直な感想として、変に派手やった…と思ったんは小生だけやったんやろか?てなことを思ったりしながら、次は花巻城へ。最近、再建されたとかいう大手門が妙に新しい。で、門を入ってみると変な声がする。な、なんやねん?と思って見回すといよったアベックが。雨の城跡で抱きあうな!このどあほう!!ってなとこですわ。ほんま、若いもんはしゃーないで。そうそう、花巻って地名の由来について。その昔、北上川が花巻城の下を流れていた頃に、城の桜が天然の堀たる、北上川の淵にのまれて渦まく様から人よんで「花巻」となったそうでっせ。でも花巻って田舎でした。賢治が晩年を過ごした家が、いま羅須地人協会とよばれて、花巻農業高等学校の敷地内に当時の姿のまま残っていました。賢治の一生って寂しかったんやろか?満たされててんやろか?てなことを思わせるたたずまいでした。感傷にひたりながらも「酒や、酒や、旨いもんはないんかい!」とその後は一路温泉へ。これで第一日目はおしまい。
[戻る]


今年は宮沢賢治の生誕100年です。ここを見て下さい。
[宮沢賢治ワンダーランド -宮沢賢治の世界。]


【八幡平から盛岡、そして小岩井戸農場】
2日目です。八幡平から盛岡へ。下界は雨、途中は霧、そして八幡平は日本晴れ。標高1614m、空気はきれいし雲界の向こうには岩手山と、えーもんでした。盛岡市内はさんさ踊で大賑わい。北上川の河原に特別会場がしつらえられ、岩手めんこいTVが中継をやってました。ここでもからおけ大会をやってる。小生も嫌いやないけどイベントには「からおけ」って発想はあんまりにも貧困なんとちゃうやろか?で、視線を変えると、その会場のすぐ傍の北上川で子供たちが水泳をして遊んどーる。これにはびっくり!まがりなりにも県庁所在地の町中の川でまだ泳げるって、すごいやん!さて、盛岡といえば、南部氏20万石の城下町。この南部氏って甲斐武田氏(あの信玄で有名でしょ)の一族やねんて。昔、新天地を求めて甲斐のくにからはるばるとこの地に来たそうです。西部開拓史を彷彿とさせる話ではありませんか。でも播磨の姫路だけでも15万石なのに、あの大きな岩手県が20万石って、なんや不思議。江戸時代って、米経済やったんやろね、きっと。平安時代の頃は岩手って馬の産地だったわけやし、きっと米を作るにはふさわしくない気候の土地だった。そこに米を作る、当然凶作は多い。権力って、経済って何なんやろね。そうそう、小岩井農場にも行ってきました。小野義真、岩崎弥之助、井上勝の創業者3人の頭文字をとって、明治24年(1891)以来、小岩井農場として100年もの歴史を刻んでんねんて。南部氏が昔の開拓者なら、3氏の事業は明治ののそれといえまんねやろね。とにかくめっちゃ広い、総面積2600haあるとのこと。羊、乳牛、馬などに直にふれることが出来る、えーとこですわ。でもまー岩手山の麓の原野をここまでにしてんなーと思うと人間ってほんまえらいんだか、自然破壊者なんだか…よー分かりません。難しいことは抜きにして、観光スポットとしては、お薦めでっせ。
●写真は小岩井農場の羊
[戻る]


●八幡平●小岩井農場




【遠野物語のさとへ】
いよいよ3日目。 目玉は、柳田国男の「遠野物語」で有名な遠野市です。盛岡市から、緑の山中を走る国道396号線をひたすら南下。途中、この地方独特の建物、住居と厩が一緒になった曲がり家がありました。現在、残っている中では最大級の千葉家住宅というそうで、映画「遠野物語」のロケ地にもなったんやて。ん?千葉、家?ということは(ほんまに、どうでもえーけど)あの新渡戸稲造さんと同族では?聞くと、先祖はやっぱり同じ平家とのこと。鎌倉幕府ができてすぐに奥州藤原氏が鎌倉幕府の手によって滅亡した後、関東の御家人が恩賞として奥州藤原氏の旧領地をもらって、ここイーハトーブに下ってきたんやね。まさに、歴史は人っちゅうことなんや。
さらに国道396号線を南下。着きました。座敷わらしに河童などなど民話のまち(パンフレットの棒読みやんか)遠野に。遠野市立博物館では、遠野のさまざまな民話がヴィジュアルに見て、聞けるように、うまいこと工夫されてた。とおの昔話村も外されへん場所でっせ。柳田国男のあれこれが分かる。さらに物語蔵に入ると、なるほどこの暗さがいろんな話を今に伝えてんなって、妙に実感できる空間と空気がありまんねん。河童淵にも行ってきましたで。小さなほこらがあって、河童が祭ってある。その隣のカンバンに「河童にエサをやらないで」と書いたーる。何じゃこれは。こんなとこで、こんなしょうもない文言をみるとは思わんかったで!もっと気の利いたこと書かれへんのかい!ってなことを思いながら淵を見たわけなんやけど、なんか得体の知れん何かが昔に住んどったような雰囲気はおましたで。…と、まー何やかやといいながら3日があっとゆーまに過ぎてしまったわけですわ。
機会があれば、イーハトーブに行ってみてみたらよろしいんとちゃうやろか。特に、関西の人にお薦めやね。ほんま色合いっちゅうんか、空気ちゅうのんか景色が関西とは全然ちゃうねんから。ちゅうことで播磨屋のイーハトーブ紀行はおしまい。次なる紀行文を心して待ってて、ちょーだい(こりゃ古い)。
●写真は曲がり家

[戻る]

感想を待ってます。