栗柄砦址(左の尾根上)と栗柄砦を遠望 (20091202)
篠山市旧西紀町域の北に位置し、多紀郡(現篠山市)と氷上郡(現丹波市)を結ぶ要衝
栗柄峠を押さえる位置にある。
栗柄峠は西に下れば氷上郡春日町に、南に下れば篠山から摂津へ、北にたどれば京丹波へ通じる
文字通りの交通の要衝であり、全国的にも珍しい谷中分水界のある峠としても知られる。
また、峠の名前の由来となった栗柄不動は三岳を中心として栄えた丹波修験道の行場として栄えたところで、
古来、多くの人が庫裏柄峠を往来した。
栗柄砦は栗柄峠を南より押さえる尾根先にあり、尾根筋を西方にたどれば
鏡峠、佐仲峠へと通じ、佐仲峠北の三尾山には赤井氏の支城三尾城址がある。
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登り口と平坦地 ・ 平坦基地か? ・ 城址に続く遊歩道-分水界の径 ・ 城址へ
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城址南西部の土塁 ・ 城址北東部の虎口 ・ 北西尾根より城址を見る ・ 栗柄峠側の登り口
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伝承によれば、栗柄砦は黒井城主赤井直正が築いたものという。
栗柄峠は氷上郡南東部の出入り口であり、赤井氏にとって領国防衛上の要地であった。
おそらく、多紀、京方面に備えた三尾城の出城として築かれたものであろう。
砦址は尾根先の小ピークを削平して築かれた単郭構造で、四方を切岸処理、
要所に土塁を掻き揚げ、折れを伴った虎口が築かれている。
そして、西方に伸びる尾根筋には堀切はなく、城址をとりまく空堀もない先進構造をしている。
『戦国・織豊期城郭論』では、栗柄砦の縄張を織豊系陣城に見られるものとして、
明智光秀が黒井城攻めに際して築いた陣城であろうとしている。
●多紀郡・氷上郡 境界あたりマップ
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・地図:地図閲覧サービス(ウォッちず)の二万五千分の一地図をベースに作成。
天正のはじめ、織田信長の命を受けて明智光秀が丹波に進攻した。その
ターゲットとなったのは黒井城に拠る赤井直正であった。
天正三年(1575)、光秀勢は黒井城に攻め寄せたが、翌年の正月、波多野秀治の寝返りで散々な敗戦を被った。
亀山を目指して敗走する光秀軍は、栗柄峠の北方すぐの鼓峠で本郷草山城主細見氏、
八百里城主畑氏らの要撃を受け命からがら亀山城に逃げ帰った。
その後、態勢を立て直した光秀は多紀郡の諸城を攻略し、
多紀郡と氷上郡を扼する鐘ケ坂に金山城を築き両郡を分断した。
さらに、三尾城に対する陣城として夏栗山砦を構え、さらに栗柄峠にも陣城を構えて
多紀郡と氷上郡の境界に防衛線を構築、赤井氏、波多野氏らを孤立化させ
天正七年、丹波平定を成し遂げたのである。
栗柄砦址へは西南山麓より登り道があり、山腹に分け入ると兵站基地を思わせる平坦地がある。
登り道は明確で、尾根筋に出ると「分水界の道」と名づけられたハイキング道が整備され、
西の鏡峠より鋸山、福徳貴寺を経て栗柄不動までを縦断する山歩きコースとなっている。
コースは佐仲峠から三尾山にも続いており、栗柄を起点として
様々なコースでの低山歩きが楽しめるできるところともいえそうだ。
・登城:2010年10月12日
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