東方の篠山川方面から城址を遠望(20091004)
北東より尾根を登る ・ 東尾根の曲輪 ・ 主郭東腰曲輪 ・ 主郭東の帯曲輪
主郭部切岸と腰曲輪 ・ 階段状の主郭南曲輪と主郭(奥) ・ 主郭南端の土塁 ・ 主郭の切岸
主郭北端の切岸 ・ 主郭北端下の堀切 ・ 主郭部東の腰曲輪を北から ・ 東腰曲輪を北側から
篠山より丹波市を経て丹後へ通じる国道176号線の西古佐交差点左にある山上にあった城で、西古佐小屋床ともよばれる。西古佐交差点すぐ南に味間谷の入り口があり、味間谷には平野主馬の味間南城と、味間伊豆守の拠る味間北城があった。平井山城址一帯は雑木林化していて見通しはきかないが、波多野氏の拠る八上城はもとより吹城・高仙寺城などが遠望できるところである。展望の悪い味間北・南城にとって、味間谷入り口を押さえつつ他の城との
連携を保つための砦的山城として築かれたものであろう。
山上に残る遺構は二つの曲輪で構成された主郭を中心に、北側に二段の帯曲輪、東南部に二段の腰曲輪、さらに小削平地が設けられている。そして、東に伸びる尾根にはほぼ自然地形の曲輪があり、その先に二段の削平地と竪堀が確認できる。さらに、主郭の南側に土塁を築き、北西尾根側は高い切岸と土橋を伴った堀切が切られている。まことに小さな縄張の城だが、見方によっては先端技法を用いた梯郭式の城ともいえそうだ。展望こそ悪いが、城址そのものは曲輪跡や切岸などがよく残っており、
それなりに楽しめる山城ではある。
・登城:2009年09月20日
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