中腹の東屋から篠山盆地を見る
篠山西北に聳える盃山は盃ヶ嶽とも呼ばれ、山容が盃を伏せたように見えることから名づけられたという。かつて篠山に本営をおいた歩兵第70連隊跡地の後方に位置し、70連隊が朝の調練や多紀連山を舞台とした山岳訓練を行った山として知られている。30キロの背嚢を背負っての演習は兵士たちにとっては地獄そのものであったろうが、
鍛えられた連隊は「丹波の鬼」として勇名を轟かせたという。
|
居館祉を思わせる登山口すぐの平地 ・ 八上城址を遠望 ・ 城址へ ・ 主郭の祠
主郭南曲輪の登り土塁 ・ 竪堀 ・ 虎口か? ・ 主郭か西曲輪へ
西曲輪 ・ 腰曲輪から西曲輪を見る ・ 西曲輪の切岸と腰曲輪 ・ 北西尾根の竪堀
盃山城は盃山の山上にあり、野尻畑氏が築いた城と伝えられている。城址へは山麓の春日神社から、春日神社鳥居横の林道から、あるいは西方のユニトピアささやまから登り道がある。林道を選んで歩いていくと、山上への案内板があらわれる。その東方の小川を隔てた山麓を見ると、なにやら居館址を思わせる土塁囲みの平地があったが、往時のものか否かの判断はできなかった。登山道はよく整備されていて見晴らしもよく、篠山盆地の景色を楽しみながら中腹の東屋に到着だ。東屋から少し登ると登山道は羊歯に覆われた細い山道となるが、踏み跡は明確で迷うことなく東方の主郭にたどり着くことができた。
主郭には小さな祠が祀られ、木のテーブルとベンチが備えられている。
城址は東西に細長い山上の尾根に築かれていて、保存状態も悪くない。最高所の主郭の南側には段状に腰曲輪が設けられ、登り土塁・虎口、竪堀が確認できた。主郭西方の尾根には細長く連郭式の曲輪が続き、その南側斜面には帯曲輪がもうけられている。さらに、南西尾根に階段状の曲輪が築かれ、東北尾根には土橋を伴った片堀切が切られている。全体の印象として南側を意識した縄張りとなっている。現在、山上の城址は雑木に覆われて展望は利かないが、狼煙山の別名があるように八上城西部を守備する拠点として築かれた城と思われる。
城主の畑氏は普段は山麓の今福城に居住し、事が起こると山上の城に詰めたものであろう。
山上からの展望は望めないが、盃山登山道からは篠山盆地が一望でき、遠く松尾山・白髪岳、さらに三岳・小金ヶ嶽が連なる多紀アルプス、もちろん八上城址から篠山城址も見下ろせる素晴らしい眺めが堪能できる。そして、北西尾根の道を辿ればユニトピア篠山へと降り立つことができる。
手軽な山歩きと城址探索、加えて山林浴も楽しめるところだ。
・登城:2009年9月17日
|
|