篠山の山城を探索する-栃梨字城山ノ坪


栃梨城址



南東にある籾井城址から栃梨城址を見る(2009年02月07日)



給水施設への登り道 ・ 尾根筋を城址へ ・ 出曲輪らしき削平地



南尾根の堀切と土橋 ・ 主郭南直下に切られた大堀切 ・ 曲輪南端の大土塁 ・ 主郭西の切岸と帯曲輪



階段状に続く曲輪 ・ 主郭北側の広い曲輪 ・ 貯水施設のある最北端の曲輪を振り返る


栃梨と向井の集落を隔てる山上にあり、北方を籾井川が東西に流れている。かつて、篠山口から福住までを結んでいた国鉄篠山線の村雲駅から東南に見える山上にあった。『多紀郷土史話』などによれば、城主は荒木山城守といい、東本荘一帯を領した荒木氏の支城のひとつであったようだ。栃梨側が大手であったようだが道らしきものはなく、向井側に城址に築かれた貯水施設に至る道があり、こちらから登ればまず迷うことなく城址にたどり着くことができる。とはいえ、急斜面に作られた階段を登っていくのは、相当にきついものがあった。
城址は最北端の曲輪に貯水施設があり、そこから南方向へ曲輪が続き、最南端の主郭南側には大土塁が築かれ、その直下は大堀切が切られている。さらに、小曲輪を経て土橋付の堀切が切られ、南尾根からの攻撃を意識した縄張りとなっている。全体が雑木に覆われていて眺望は利かないが、東北方面に荒木氏の本城である細工所城が、東北方面は車塚古墳から口県守館、市谷城が、南東方面には籾井氏の本城籾井城が見えたことであろう。
栃梨城は、荒木氏城郭群の最前線に位置し、籾井城と連携しながら天引峠方向から篠山に侵攻してきた敵に備えた。そして、天正五年(1577)、明智軍の攻撃によって本城の細工所城とともに落城したと考えられる。
・登城:2009年1月17日