土居の内から城址を見る (2008年3月2日撮影)
東南方向より城址を見る ・ 南端の曲輪 ・ 南端堀切と虎口
主郭西側の土塁 ・ 主郭東の腰曲輪 ・ 南北の曲輪を穿つ大堀切 ・ 北曲輪北端の堀切
西山麓の畝状空堀 ・ 主郭南西部の横矢懸 ・ 南方に聳える八上城址
篠山に唯一残った戦国土豪の居館址である「土居の内」の東方にある小山に築かれたもので、小さな城だがその縄張りは
先進的である。城域は主郭を中心に南北150メートル、東西50メートルの規模で、大堀切をはさんで南北に分かれている。
南端にある登城口を登ると独立した曲輪があり、そこから主郭に登っていくと尾根先を穿つ堀切があらわれる。
虎口には横矢懸、主郭東西に設けられた腰曲輪には竪堀が切られ、とくに西側に切られた六つの竪堀は畝状を呈している。
北曲輪は南曲輪に比べて削平も甘いが北端に櫓台を思わせる高みがあり、その北直下に北尾根とを隔てる堀切が捲いている。
全体として北側からの攻撃を意識したつくりとなっている。雑木や雑草におおわれ薮化が進行しているが、
ジックリ探索すれば見所の多い城だ。
土居の内は、北方の八百里城を詰めの城とした畑氏の居館であり、一帯には奥畑城、武路城、武曽山城、東平城など畑氏系の城址が点在している。西ノ山城も畑氏一族のものかと思われるところだが、八上城攻めを進める明智光秀が築いた城と考えられている。たしかに南方を流れる篠山川北岸にある般若寺城は光秀の本陣であり、西ノ山城とは距離も近い。しかし、北尾根を登りきったところには武路城、東方の小山には東平城があり、波多野氏の有力被官である畑一族に対する楔の城として機能したようだ。畑一族にすれば目障りな城であり、城に拠った明智方の兵たちば常に緊張を強いられたことであろう。
・登城:2009年4月18日
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