白壁と小窓、板張との調和が絶妙
風格のある重厚な佇まい(後方の森は神田神社)、建物群の一角に資料館がある
往時もかくやと思わせる大山荘の風景 西尾家門前にある神田神社の鳥居
西尾家住宅は江戸時代中期の享保十八年(1733)に建てられたもので、かつて東寺の荘園であった
大山荘の鎮守であった神田神社の鳥居前にある。西尾家は江戸時代から酒造業を営み、庄屋、篠山藩
御用達を務めた旧家だ。西尾家の銘柄であった『西尾正宗』は、明治四十年(1907)に初めて開かれた
全国清酒品評会で一等賞を獲得した名酒であった。
江戸時代後期の俳人西尾武陵の生家としても知られ、
平成十六年(2004)七月に主屋が国の有形重要文化財に登録された。建物は桁行十二間、梁間六間の
二階建酒蔵で、切妻造の桟瓦葺で妻入とし、街道側の北妻面には高い位置に水切が設けられ、
西面には二段六列の小窓が整然と配置された規模の大きなものである。
昭和二十年のはじめ、戦時体制下における企業整備令により多紀郡内にあった十三の酒造が合併して
多紀酒造有限会社が生まれた。ここにおいて西尾酒造場での酒造りは終わり廃業となったが、昭和二十六年、
西尾精一氏(武陵の曾々孫)が多紀酒造の代表取締役に就任している。その後、多紀酒造は「清酒鳳鳴」で
知られる鳳鳴酒造となり、現在も篠山の酒造として続いている。いま、大山地区において、かつての地元の
名酒「西尾正宗」 の復刻に取り組んでいるという。左党ならずとも、完成が楽しみなことである。
ところで、むかしの山陰街道は亀岡から篠山を経て、氷上郡柏原から丹後へと通じたが、近世、亀岡から
福知山に通じるコースに替えられた。とはいえ、旧山陰街道は丹波から但馬に通じる街道として重要視され、
多くの旅人が往来した。現在、国道176号線に生まれ変わり神田神社東側を走っているが、旧道は
西尾家と神田神社の鳥居との間にいまも残っており、西尾家と神田神社あたりの佇まいは往時の街道風景を
彷彿とさせてくれる。いまも住居として使用されており、江戸時代から明治時代後期にかけての
酒蔵および住宅として貴重な建造物である。また、武陵が化政天保時代に交わした俳人の手紙六百余通が
大切に保存されており、こちらも同時代の俳諧史研究における貴重な史料となっている。
・いまも大切に保存されている西尾正宗の看板(20091012)
撮影:2008年5月17日・2009年4月30日
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