舞鶴道の工事で東方が無残に削られ、無味乾燥な鉄の階段が山上へ続く
城址の稲荷神社 仔細に歩くと曲輪跡が散在する
旧西紀町の中心にある宮田交差点を長安寺方面へ、舞鶴道を潜ってすぐ右手に赤い鳥居が目立つ小さな丘が内場(ないば)山だ。
山上には小さな祠が立ち、そこから南方面を望むと見晴らしは抜群だ。かつて、神霊を招き奉った神奈備山であったことから、
「巫場(なぎば)山」と呼ばれ、転じて「ないば(内場)」となったという。
内場(ないば)山は宮田荘から大山荘に通じる交通の要衝に位置し、中世、丹波守護であった山名氏清が本城として築いた
板井城の南方を固める城が築かれた。山名氏清は明徳の乱で没落、丹波守護は細川氏が任じられ、戦国時代に至った。
伝によれば、戦国時代の城主は山名豊恒で、波多野氏に仕え、天正六年(1578)、明智光秀の丹波攻めで戦死した。
現在、城址の東半分は舞鶴道工事で削り取られているものの、竪土塁、帯曲輪などを確認することができる。
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