旧宿場町の名残をとどめる古市の町中にある浄土真宗大谷派の寺院で、
赤穂四十七士の一人不破数右衛門正種ゆかりの寺として知られる。そもそもは、
一帯を領した酒井党の一家である油井城主酒井上野介秀正の子久左衛門尉秀朝が、
晩年仏門に入って誓珍と号し、別荘を寺院としたことに始まる。
昭和七年(1932)、境内の一角に数右衛門の顕彰碑が建立され、それがきっかけとなって
毎年十二月十四日に
古市義士祭が催されるようになった。祭りのハイライトは子ども義士行列で、
赤穂四十七士に扮した子供たちがが古市の町を練り歩く。
また、境内にある「日限地蔵」は、お参りするとき「○月○日
までに成就しますように」と御願いすると、願った日時までに願いをかなえてくださるという
全国でも数少ないお地蔵さまだ。毎年、八月二十四日に催される地蔵盆は、むかしから
「古市の地蔵盆」として知られ、多くの人出で賑わったという。
宗玄寺参道の石段すぐそばに鎮座する蛭子神社は、宿場町古市の商業活動を守護する神として
崇敬され、一月十日の「十日戎」には近在から多くの参拝客が集まる。本殿を飾る彫刻も
小ぶりながら見応えがあるものだ。
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