古市は古来、丹波と播磨を結ぶ要衝の地として栄え、江戸時代には福住、追入と並んで多紀三駅の
一つとして大変賑わったと伝えられている。いまも、古市の街を歩くと往時の面影が随所に残されて
いる。その古市の一角にある宗玄寺は、赤穂浪士の一人不破数右衛門正種にゆかりの寺として知られる。
不破数右衛門は、故あって赤穂藩を浪人していたが、浅野内匠頭の恩に報いるため吉良邸討ち入り
の一挙に加わったものであった。 赤穂藩が改易になったのち、数右衛門の実父母は数右衛門の二児をつれて、娘おさよ(数右衛門の妹)の嫁ぎ先で ある古市の造り酒屋酒井三郎右衛門っを頼った。さらに、おさよの娘が嫁いだ 宗玄寺に寄寓した。一挙を前にした数右衛門は、 最期に両親と愛児に逢わんとして古市を訪ねた。数右衛門を迎えた母は、自分の白無垢の下着を襦袢にし、 この襦袢を着て母と子二人らの分の働きをなすようにと激励して名残を惜しんだという。江戸に帰った数右衛門は、討ち入りの当夜、 母に送られた襦袢を着て活躍、本懐を遂げたのであった。その後、数右衛門が着用した襦袢は短刀とともに宗玄寺に届けられ永く保存されてきたが、 いつのころか紛失、現在はレプリカが伝えられている。 |