篠山の歴史・見処を訪ねる-多紀連山


宝塔山福泉寺址



御嶽中腹から小金ヶ嶽、福泉寺址方面を遠望


福泉寺は多紀連山三岳のうち、東方に聳える小金ヶ嶽の南、およそ七合目あたりに存在した寺院である。多紀連山は、 かつて丹波修験道(三岳修験道)の山として栄え、盛時は修験道の本山である大和吉野の大峰山より賑わった。 三岳修験道の始まりは明確ではないが、平安時代の終わり鳥羽天皇の御世のころといい、 三岳の主峰御嶽の南に大岳寺が開創されたのち、三岳一帯には寺々が立ち並び修験道の一大聖地となったようだ。
大岳寺の開創十年後、小金ヶ嶽の南山腹、ちょうど大岳寺に呼応する位置に福泉寺は建立され、大峰山の竜泉寺に 対抗して福泉寺と命名されたと伝える。やがて観音堂や僧坊なども建立され、奥の院の多宝塔には密教における 最高仏である大日如来以下四体の裳掛(台座に御仏の衣が垂れ下がっている。衣が長く台座の周りに広がっているもの、 テーブルクロスのように布がしかれているものとがある)像が安置されたという。


福泉寺址の説明板  残された礎石群  寺院があった削平地  土塁か、お堂址か?


奥の院宝塔址への石段  宝塔址の礎石  谷川に残る石垣址遺構  西方山麓にも寺院址の遺構


修験道には金剛界(表行)と胎蔵界(裏行)の両部があり、三岳修験では筱見の四十八滝で水垢離ののち、大日ヶ尾の大日如来に参拝したあと、東の覗、小金ヶ嶽山頂の白山権現参拝、南に下って福泉寺で勤行、ふたたび小金ヶ嶽山頂から西に続く岩場を辿って大タワに下り、御嶽山上の行者堂、そして、大岳寺へと至る行が「金剛界」廻りであった。一方、大岳寺から御嶽山上の行者堂、西方に続く尾根道を経て西の覗から愛染窟、栗柄の養福寺、 そして不動の滝で水垢離して不動明王に参拝する行が「胎蔵界」廻りといった。
三岳修験道が盛んになるにつれ入山者も増え、僧兵を養うようになり福泉寺の南に馬駆場も作られた。三岳の繁栄に対して、本山である大和の大峰山は南北朝の争乱もあって衰退の一途をたどった。これに危機感を抱いた大峰山は、三岳に本山への参拝を求めた。ところが三岳はそれに応じなかったため、文明十四年(1482)、大峰の吉野蔵王堂の坊主主鬼は山伏三百人を率いて遠く丹波まで攻め寄せてきた。三岳修験道の僧兵(山伏)たちは、新庄の宮の谷で大峰勢を迎え撃ったが敗戦、御嶽の大岳寺をはじめ、 福泉寺など三嶽修験道の寺々は大峰勢によって焼き払われてしまったのである。

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小金ヶ嶽へ

谷を隔てて小金ヶ嶽を遠む  小金ヶ嶽への標識  小金ヶ嶽中腹から三嶽を遠望  大タワの黄葉


いま福泉寺址に立つと、寺址の谷筋に流れる谷川を挟んで山腹に平坦地が散在、谷川の西には当時の本堂跡であろうか 四十八の礎石があり、東側に残る石段を上った台地には奥の院の多宝塔址の礎石であろう印の入った石が残っている。 さらに、大峰の来襲に備えて築いた土塁、掘割なども見られる。また、寺址の西方に伸びる尾根には山城址の遺構が残り、 城址本丸部分からは谷を隔てて西方に大岳寺が遠望できる。城址は尾根を最高所として南北に削平された曲輪群が連続し、 中央部の見事な大堀切によって南北に区画されている。 大峰勢の来襲に際して福泉寺の僧兵(山伏)によって築かれたものと思われるが、堀切や腰曲輪などは戦国時代に改修の手が 入ったようにも見える。寺院址と城址とを結ぶ山腹には、僧坊址であろう平坦地があり井戸址も残っている。 築城年代を裏付ける確実な資料は伝来していないが、おそらく福泉寺と尾根の城は一体だったもので、福泉寺が滅亡したのちの 戦国時代に在地豪族(畑氏か?)によって修築されたものではなかろうか。
三岳修験は最盛期一万人を数える行者が山中を往来し、三岳周辺には多くの寺々が建立された。また、大江山の鬼退治に 向かう途中の源頼光が宝塔に祈願したという伝説、兄頼朝に追われた義経を匿ったという伝説もある。そのような 勢いのあった三岳修験が、わずか三百の大峰勢によって敗れ、全山焼失してしまったとは俄かに信じがたいことである。 よほど三岳側の作戦がまずかったのか、そもそもの本山である大峰に対する怯みがあったのか、いずれにしろ三百の 軍勢によって三岳修験道は一時途絶、焼亡した福泉寺は再興されることなくその遺跡は荒れ果て樹木に埋もれている。


福泉城址の大堀切(向うは大岳寺方面) ・ 多紀アルプス山開きの護摩焚き

その後、福泉寺は多紀郡(篠山市)三十三ヶ所の二十四番札所となっていたが、寺もなく参拝するのも困難な山腹にあったため、山麓の火打岩にある平石山楞巌寺が代行するようになった。しかし、明治維新ののち楞巌寺も廃れてしまい、新たに村の中にお堂が営まれ、毘沙門天立像・不動明王立像、帝釈天立像を祀って現在に至っているという。ちなみに三岳修験道は江戸時代に復活し、いまも数百人以上の人々が修行を続けておられ、五月の初めに行われる多紀アルプスの山開きには 修験者の皆さんが登山者の安全を祈念する護摩焚きを修されている。

撮影:2007-12/01・08
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多紀連山/ 大岳寺址