福泉寺は多紀連山三岳のうち、東方に聳える小金ヶ嶽の南、およそ七合目あたりに存在した寺院である。多紀連山は、
かつて丹波修験道(三岳修験道)の山として栄え、盛時は修験道の本山である大和吉野の大峰山より賑わった。
三岳修験道の始まりは明確ではないが、平安時代の終わり鳥羽天皇の御世のころといい、
三岳の主峰御嶽の南に大岳寺が開創されたのち、三岳一帯には寺々が立ち並び修験道の一大聖地となったようだ。
大岳寺の開創十年後、小金ヶ嶽の南山腹、ちょうど大岳寺に呼応する位置に福泉寺は建立され、大峰山の竜泉寺に
対抗して福泉寺と命名されたと伝える。やがて観音堂や僧坊なども建立され、奥の院の多宝塔には密教における
最高仏である大日如来以下四体の裳掛(台座に御仏の衣が垂れ下がっている。衣が長く台座の周りに広がっているもの、
テーブルクロスのように布がしかれているものとがある)像が安置されたという。
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