篠山の歴史・見処を訪ねる-大山宮


追手神社








かつて、山陰道は亀岡より篠山を通り、鐘ヶ坂の峠を越えて氷上へと下っていた。篠山西方は現在の国道176号線と ほぼ重なっているが、大山あたりにおいては旧街道が国道と平行する形で残っていていまも生活道として機能している。 古い街道だっただけに街道沿いの大山には式内社の神田神社、大山宮に追手神社、そして追入宿として賑わった追入には 追入神社が鎮座している。さらに、宝橋山高蔵寺・大宝山大乗寺といった古刹、和泉式部に関わる伝説などが残されている。
大山宮に鎮座する追手神社の祭神は追手大明神=大山祇命で、その社名はおそらく日本唯一のものではなかろうか。 創建年代は不明だが、大山荘との関係などから平安時代には存在していたとされる。この神社の起こりについては 面白い伝承がある。
むかし、某所の鐘を盗んで逃げる神様が大山を通り過ぎた。それを自分のところの鐘が盗まれたと思った神様が 追いかけてきた。鐘ヶ坂の手前で日が暮れてしまったため、神様は仮眠をとったところが寝入ってしまい、 トリの鳴く声で目を覚ました。これでは、もう追いかけても無理と思った神様はそこに鎮座され、追ってきた神様と いうことから追手神社と名づけられたのだという。一方、逃げた神様は山の上で一服し、月が出たのを幸いに峠を下って 行こうとした。ところが、近くにあったシイの実がはじけて目に当たり、あまりの痛さに鐘を置いたまま峠を 下ったところで鎮座されたという。

  追われた神様が鎮座されたという小倉の刈野神社(20090430)

神社は石垣で取り囲まれ、中世の館址を思わせる佇まいである。境内に聳えるモミの木は、樹高34メートル、 幹周8.3メートルという日本一のもので、「千年モミ」と呼ばれて国の天然記念物に指定されている。また、 推定樹齢350年という「夫婦イチョウ」の木は、樹高30メートル、幹周3.8メートルの大木で夫婦円満のイチョウ として親しまれている。秋のイチョウの黄葉は見事なもので、散り敷いた葉は境内が黄色の絨毯を敷き詰められた かのような素晴らしい景観を作り出す。そして、雌木には多くのギンナンが実り、 晩秋になると多くの人が拾いに来るそうだ。
界隈は追手大明神の伝説のほかにも、神社すぐ北側に和泉式部が子供と別れたという 「別れ路の橋」、多紀と氷上を隔てる金山の山上には大江山の鬼が架けたという「鬼の架橋」、 明智光秀が築いた山城址が残っている。江戸時代には『大山八景』に、「追手の夜雨」として選ばれた景勝地でもある。 車であればアッという間に 通り過ぎてしまうが、旧道をのんびりと歩けばむかし懐かしい風景を楽しみながら伝説や歴史に出会えるところだ。

・2007-11/11 →2008-05/17 →10/12
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追手神社の秋景を見る