熊按神社の三つ柏紋・妙福寺の井桁に橘紋
日蓮宗の宗祖日蓮は安房国の猟師の子に生まれたというが、一説に井伊一族とも伝えられる。井伊一族は井桁、あるいは橘を家紋としたことから、日蓮宗の寺院はそれにならって「井桁に橘」を寺紋とするようになった。


青山歴史村の裏銭紋・観音寺の桐と竜胆車紋
普門山観音寺は禅宗寺院で、道元が開いた曹洞宗に属している。道元は公家久我通親の子に生まれ、入宋して曹洞禅を学び開悟した。久我氏の紋は「笹竜胆」であったことから、曹洞宗の寺院も竜胆紋を用いるようになった。


来迎寺の立ち葵紋・尊宝寺の三階菱紋
尊法院は波々伯部村の土豪加竹法印が創建したと伝えられることから、寺紋の三階菱は加竹氏の紋だったとも思われる。三階菱紋は信濃の戦国大名で、江戸時代も大名として生き残った小笠原氏の紋として有名なものである。可能性として加竹氏は、小笠原氏の流れを汲む武士であったのかも知れない。


高蔵寺の割菱紋・味間奥波多野家の丸に抜け十字紋
味間奥の波多野家は、戦国時代、八上城主であった波多野氏の後裔という伝承をもっている。波多野氏の家紋は、誓願寺の寺紋などから「丸に抜け十字」「竪二つ引両」と伝えられる。波多野家の家紋は「丸に抜け十字」であり、家紋を見る限り、八上城主波多野氏の後裔という伝承の蓋然性は高いといえそうだ。