大売神社の抱き柏(合せ柏)紋・黒岡春日神社の上り藤紋
平安時代、黒岡、風深、郡家、沢田は日置荘に含まれ、同荘は藤原基経・時平父子が所領としていた。その縁で、藤原氏の氏神である奈良の春日大社のご分霊を篠山の地に勧請したのが、黒岡の春日神社の始まりと伝えられる。春日大社の神紋は藤紋であり、黒岡の春日神社もそれに倣ったものであろう。


神護山太寧寺の九曜紋・沢田山小林寺の九曜紋
室町時代、丹波守護職は幕府管領を務めた京兆細川氏が世襲した。太寧寺は細川氏の一族細川持春が、嘉吉三年(1443)、亡父満国の供養のために創建したのが始まりである。境内のあちこちに見られる九曜紋が、細川氏との所縁をいまに伝えている。


清浄山誓願寺の丸に抜け十字紋と丸に竪二つ引両紋
戦国時代、丹波の戦国大名として威勢を誇ったのが八上城主波多野氏であった。秀治の代、織田信長の命を受けた明智光秀の丹波侵攻軍を迎え撃ち、敗れた波多野一族は没落となった。その波多野氏が用いたのが、丸に抜け十字紋で。一説にはキリシタンとの関係から用いたのだともいう。


波々伯部神社の五葉木瓜紋と松喰鶴紋
波々伯部神社は丹波の祇園さんと称され、天徳二年(958)に八坂神社よりご分霊をうけたのが始まりという。祇園さんの神紋は五葉木瓜が共通のもので、八坂神社の神紋も五葉木瓜である。中世、波々伯部を領した土豪波々伯部氏の紋が室町時代に成立した「見聞諸家紋」に見え、松喰鶴紋である。