篠山の祭り


池尻神社の人形狂言芝居


池尻神社の人形浄瑠璃は、江戸時代中期の宝暦三年(1753)に当時の徳永村の庄屋であった中沢伝左衛門が 「神変応護桜」と題した章詞を書き下ろし、翌年の池尻神社祭礼に遷座百年を記念して明神講の手により 奉納されたのが始まりである。
物語は神社に立ち寄った若者の八重垣が、大蛇を退治して、人身御供の稲田姫を救う という内容で、使用される人形は禰宜、八重垣、稲田姫、翁(じじ)、媼(ばば)の五体、他に大蛇が用いられる。 人形は胴串の角度から一人使い系統のもので、古浄瑠璃から文楽人形に移る過渡期の様相を留める貴重なものとして 昭和四十一年に人形浄瑠璃に使われる頭五体が県の有形民俗文化財に指定された。


幟・幕で飾られた本殿 ・宮入の御輿を待つ境内 ・出番を待つ人形たち


御輿の宮入

御輿の宮入 ・急な石段を一気に担ぎ上げる  ・境内を練り歩く


人形浄瑠璃

始まりが告げられる ・子供たちも舞台に見入る ・大蛇の登場で境内が沸く



村々を練り歩いてきた御輿が、急な石段を掛け声も勇ましく宮入、境内を豪快に練り歩いたのちに、 人形浄瑠璃「神変応護桜」の始まりが告げられる。 舞台は桜が描かれた幕を張っただけの簡素なもので、お囃子は拍子木と太鼓だけである。
拍子木の音に合わせて足を高くあげた禰宜が舞台を行ったり来たりして謡曲調の謡が始まり、 若侍八重垣が登場、つづいて現れた翁媼が孫娘稲田姫が大蛇への人身御供に当たった不幸を嘆き、 稲田姫が登場すると狂言調の語りとなる。 ふたたび禰宜が出てくると浄瑠璃調となり、左手から大蛇が登場するとそのユーモラスな姿もあって境内が一気に沸く。 そして、クライマックスである八重垣の大蛇退治の段にはふたたび謡曲調となり、大蛇が退治されて 「神変応護桜」は幕となる。 場面によって調子が変わるという変化に富んだ内容で、 平成四年三月に大阪・国立文楽劇場で公演が行われたのも頷ける技術の高いものである。 現在、「人形狂言保存会」が組織され、後世に伝えるべき有形、無形の民俗文化財として保存継承が努められている。
今年の篠山は築城400年目という節目の年にあたり、市をあげて一大イベントが開催されている。 それとタイアップしてだろう新しくパンフレットが制作され、人出も例年以上に多く、祭礼はおおいに盛り上がっていた。 素朴といえばその通りかもしれないが、この愛すべき素晴らしい民俗芸能を、 さらに多くの人に楽しんでほしいと願っている。

・人形狂言芝居の歴史が分かるパンフレット

【撮影:2009年10月11日】

→2008年の人形狂言 池尻神社