弥十郎ヶ岳は標高715m、丹波篠山では多紀アルプスの三嶽・小金ヶ嶽に次ぐ高山である。
人名の付いた山としては信州の「野口五郎岳」が有名だが、
兵庫県内では三田の甚五郎山とこの弥十郎ヶ岳だけという。
その名の由来については、山腹にある洞穴に住んでいたという山窩にちなむとか、
あるいは弥十郎ヶ岳南方にある八上(やじょう)が訛ったものとかいわれている。
実は弥十郎ヶ嶽は三つのピークを総称したもので、ひとつの山をさしたものではないともいわれる。
弥十郎ヶ岳へは北方の畑市から、南の籠坊温泉から、西方の曽地より四十九院址を
登るコースがある。なかでも四十九院址のコースは、戦国時代、波多野氏に味方したため
明智軍に焼き討ちされたという歴史を有するところで、
登山道の両側には階段状の削平地や石垣が累々と残っている。その光景は、
かつての殷賑ぶりを語るに十分なもので、世の無常を感じずにはいられないところだ。
四十九院址を過ぎると、畑市からの登り道と、曽地八幡からの道が合流する吹越峠となる。
弓張りとよばれる細尾根を通り、山名の由来になった洞穴を経て、
畑市からまがり谷を登って来た道と合流する尾根を登りきると弥十郎ヶ嶽の頂上である。
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頂上は意外と広く、弥十郎ヶ岳の標識、二等三角点が出迎えてくれる。
頂上からの展望は抜群で、多紀アルプスの三嶽・西ヶ嶽・小金ヶ嶽が眼前に聳え立ち、
西光寺山・白髪岳・松尾山、夏栗山・黒頭峰など篠山盆地を囲む山々が一望できる素晴らしいものだ。
弥十郎ヶ嶽北峰から西方に伸びる尾根にある火とぼし山は、中世、
弥十郎ヶ岳北方一帯に勢力を張った波々伯部一族の平内が拠った城で平内丸ともいわれる。
天気の好い日は遠く日本海が望めることから「海石山」とも呼ばれる、時間があれば拠ってみたいところだ。
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