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古代氏族・上毛野氏の後裔、調子家
かつて乙訓郡とよばれた長岡京市の一角に調子という地名がある。そこを名字の地とする調子家は古代豪族下毛野氏の末裔といい、
古代、中世を生き抜き、近世には地下家として家系が連綿した。
調子家の歴史は『長岡京市史』に詳しく語られており、一説によれば石田三成の出た近江石田家も浅からぬ所縁があったという。
かねてより調子という響きのいい名字と、『長岡京市史』に収録されている詳細な系図が気にかかっていた。
先日、大山崎町から長岡京市を訪ねたとき、たまたま目に入った古い墓地の一角に古式然とした五輪塔群を発見。
「これはなにかありそうな…」と直感!逸る心を押さえて墓域に踏み込むと、「下毛野」の文字が目に入り、探していた調子家の墓所であった。
調子家の墓所と家紋
墓石に刻まれた家紋はと見れば、古い五輪塔、宝篋印塔は文字が摩耗し当然ながら紋もない。
が、新しい墓石に刻まれた家紋を見れば「八重花角」、地下家とはいえ朝廷に仕えた家らしく凝った意匠のものであった。
こういう思いもかけない出会いがあるから、古い墓所は魅力的なのである。
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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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