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因幡若桜の鬼ケ城下で、謎の紋を採取
因幡国八東郡若桜町、かつて播磨に通じる因幡街道の要地であった。中世の若桜は、関東御家人の血をひく矢部氏が治めたところで、
まちを見下ろす山上に国指定史跡の若桜鬼ケ城が残っている。
矢部氏が没落したのち、豊臣大名木下平太夫重堅が古城とは別に築いたものだ。関ヶ原の合戦で西軍に味方した木下平太夫が滅亡したのち、
若桜に入部した山崎氏によって改修され、最後は池田氏の城破りで歴史に幕を閉じた。
若桜鬼ケ城跡 ・木下平大夫の五輪塔
山麓の西方寺に木下平太夫の墓所があるというので行ってみると、平太夫の眠る墓地には熊田姓の墓が林立し、なんとも奇妙な家紋が刻まれていた。
墓石によって微妙に図柄が変化し、あるものは 「十文字に鍬形」 に見え、そのとなりは 「秤に一つ引両」 のような、さらには 「帆懸け船」 のように見えるものもある。
さて、いずれが原形を伝えたものか? おおいに興味をそそられ、墓地の探索を進めると、江戸時代に建立された商家の古い墓を発見、
そこには 「秤に一文字 (もしくは秤そのもの)」 といえそうな紋が刻まれていた。
・熊田家の謎の家紋群
おそらく、古墓が本家のものと思われ、商家に相応しい 「秤」 と、敵に勝つに通じる 「一文字」 を組み合わせたものではなかろうかと誰何された。
ひょっとして御先祖は矢部氏に仕えた武士で、近世、商人に転じて家名を伝えたものかもしれないな?などと想像が広がったことだった。
とはいえ、熊田家の紋の変化ぶりは、家紋に含まれた本来の意味が時代が下り、家が増えるにつれ失われていく傍証のように思われ興味深かった。
その後、熊田家の家紋は「十一」紋ではなかろうか、との情報をいただいた。十一といえば「10日で1割という高利」
「花札で、10点札1枚のほかはかす札ばかりの手役」をいい、あまりよい意味のものではないが・・・。熊田家としては、
あえて、そのような意味を家紋に求めたのであろうか?
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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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