出雲国-佐太神社



佐太大神は、「くらき岩屋」から生まれたと伝える。
 
佐太神社

 
佐太神社は、延喜式に「佐陀神社」と記され、佐陀大神社とも称せられた。奥殿、北殿、中殿の宏大な三殿が並び、佐陀三社とも呼ばれ、出雲国の二宮と崇められた。
佐太神社の祭神「佐太大神」の誕生神話として、出雲国風土記にカミムスビの子のキサカヒメが「くらき岩屋なるかも」といって金の矢で射たとき、光かがやいたから、加加という名が生まれ、いまも洞穴があって「加賀の潜り戸」と呼ばれている。この神話は、黄金の矢を持つ太陽神が、暗い洞穴に矢を放つとは、太陽神とそれをまつる巫女の交合の儀式を意味するものとも考えがえられる。
●北殿神紋「輪違い」/●中殿神紋「地紙」/●南殿神紋「二重亀甲」



 
松江市内から北上すると、佐太神社に辿りつく。背後に山を控えてはいるもの、開放的な立地に鎮座されているというのが第一印象である。その結構は、江戸時代に出雲大社と勢力を二分した神社としては、古寂びた気配が漂っていた。これは、参拝したのが薄曇りの日であったせいかも知れないが。
佐太神社からさらに進むと、島根半島の北に「加賀の潜り戸」がある。遊覧船に乗って近付くと、まさに「佐太大神」が生まれたとされるに相応しく女性の秘所を想像させる佇まいだ。また、「加賀の潜り戸」の近くには賽の河原もあり、幼い子を亡くした親たちが哀しみを持ってくるといわれている。
●鳥居/●三つの殿舎が並んだ本殿/●女陰を思わせる「加賀の潜戸」