家紋 広峰神社

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広峰氏


 祭神は素戔鳴尊・五十猛命のほか、脚摩乳命・手摩乳命・奇稲田姫命を祀る。古来、広峰大王・広峰牛頭天王・武塔天神・白国明神などとも称された。
 社伝によれば、創祀は天平五年(733)三月十八日、吉備真備は帰朝して、この地に異神を見た。それは素戔鳴尊であったが、真備はその旨を京都に帰って奏上し、翌六年、神社を造営したのが創祀という。初めは、白幣山に所在していたと伝えられる。貞観八年(866)、従五位下を授けられた。天禄三年(972)、白幣山より現社地の広峰に遷祀された。
 一説に、山城国祇園牛頭天王は、平安遷都後、すなわち貞観年間(859-76)に当社から勧請したものといい、よって広峰社を祇園社の元宮ともいう。このように、広峰社は山城の祇園社と密接に関わりながら衆庶の信仰を篤くしていったようである。とくに、山城の祇園社が二十二社の一に加えられ、朝野の尊崇を集めると、広峰社もそれに乗じて栄えていった。
 永仁のはじめ頃、社殿を焼失したが、同四年(1296)再建した。江戸時代に入ると、朝廷や宮家より御撫物(おんなでもの)が捧げられ、また幕府からは七十二石の朱印領が安堵せられた。広峰社は衆庶に作物の神として信仰されたが、近世において、近国の人々は伊勢ま詣りの帰途、必ず広峰社に参拝でて五穀豊穰を祈願するのが例であったという。

●別当、広峰氏

 播磨国飾東郡国衙荘にある広峯社の大別当家は広峰氏を称した。広峰氏は、古今和歌集の選に預かった歌人凡河内躬恒の子恒寿がはじめて広峰神社の大別当となったことに始まり、恒寿の弟勢恒も大別当となり、以後、勢恒の子孫が大別当職を世襲した。
 大別当七代勝賀のとき、鎌倉御家人となった。勝賀には男子がなく、阿曽氏の一族広瀬三郎を婿とし、その子で孫にあたる家長が大別当職を継いだ。家長の曾孫貞長のとき、元弘の乱を迎えた。
 貞長は、元徳二年(1330)父重長から広峰社大別当職を譲られ、広峰社の第十一代別当となった。はじめ宮方として合戦に参加し、後醍醐天皇の綸旨を得て本領を安堵されたが、恩賞ははかばかしくなく、建武新政が破綻すると足利尊氏に属して今川頼貞の軍に加わり、但馬枚田河原の合戦や気比城合戦に加わり、湊川合戦では楠木弥四郎を討ち取る功をあげ、上洛して鳥羽や阿弥陀峰の合戦にも参加した。
 これらの合戦で貞長自身も負傷したが恩賞がなかったものか、建武五年(1338)四月には今川頼貞が入道昌俊(貞長)の軍忠状に起請文を添付して申請している。そして、土山荘内の中井村・萩原村の地頭職をその恩賞として獲得したものらしいが、布施彦三郎・浦上孫三郎・平居新三郎ら在地武士の押妨のために所務は困難であったようだ。やがて、康永四年(1345)大別当職以下の所職所領を嫡男長種に譲っている。
 一方、貞長の弟信則は後醍醐天皇方に属して、兄弟は南北に分かれることになった。のちに信則の系は尾張に移り、南朝方として活躍したという。その子孫は戦国期、織田信秀、信長に仕えたことが系図から知れる。

●乱世下の広峰氏

 貞長から大別当職他を譲られた長種は、同じ社家の肥塚範重や芝原又五郎らとともに摂津山田丹生寺や紀伊星尾、播磨滝野城、越前敦賀などを転戦した。広峰氏は長種以降、播磨国守護となった赤松氏への隷属を強めたが、平野村・白国村・中島村・砥堀村・山井村・北条村のほか土山荘内四ケ村と南条郷内五ケ村を神領として支配し、鵤荘や穴無郷地頭職などを寄進された。
 室町期は村上源氏赤松氏の末葉と称して大別当職を世襲した。ところが、広峰社は京都祇園社と本末を争い、嘉慶二年(1388)幕府は祇園社の訴えを志道して範長を広峰社から追放し、広峰社は祇園社から派遣された代官の支配を受けるようになった。その後、嘉吉の変で播磨守護赤松氏が没落。
 赤松政則が赤松家を再興するも、応仁の乱へと世は動き、この乱は広峰社が祇園社支配を脱する好機となたが、同時に社領は武士蚕食の的ともなった。守護赤松政則は延徳元年(1489)広峰社に太刀を奉納し、守護使の入封を禁じ、また、広峰純長のために太刀を鍛えている。祇園社は赤松氏と結んで支配権回復を図り、広峰氏も赤松氏と結んで祇園社支配を排除しようとした。しかし、やがて赤松政則が没しかれの死後赤松氏の勢力は衰退に向かうと、浦上氏・小寺氏など在地勢力の保護を受けるようになった。
 その後も、広峰氏は広峰神社と京都の祇園社との本末支配の争乱にも巻き込まれるが、広峰神社の神宮寺である増福寺が天台宗であったことから、近世に至り日光門跡の差配を受けるとともに姫路藩主の崇敬を得て安泰期を迎えた。そして、広峰山上には広峰氏をはじめ二十七の社家が居住したと伝える。
 大別当家広峰氏の子孫は、のちに広嶺姓を名乗り、旧社領地内稗田神社の神主家としていまも存続している。
【木瓜(抱き柏も用いられる:写真参照)】




■社家広峰氏参考系図



[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]