戒名・法名・位牌・過去帳
戒名や法名とは何か?位牌や過去帳はどう見るか?先祖調査に必要な知識を学ぶ。



戒名の実意

 わが先祖を探るという拠りどころのひとつに、仏寺の戒名や位牌、過去帳などがある。
 今からおよそ千四百年以上の昔、仏教がわが国に渡来してから以後、日本人は、年代を降るにしたがって、多年の慣習で、葬儀はたいてい、仏式で営まれることが多い。
 そして、碑とが死ぬと、生前の俗名を捨てて、仏の御弟子になるというので、改名することになっている。これが、仏教での仏事葬送でいうところの戒名と呼ばれているものだが、実は、厳密にいうと、この死後の改名は、たいていは、戒名ではないのである。
 戒名というのは、在家の俗人が、仏・法・僧の三帰戒をうけて、仏門に帰依するために、授戒会の大法要をしたものに授けられる名のことなのである。
 この授戒会は、なかなか大仰な儀式手続きによって行われる。有徳の高僧を請して戒師となってもらって、教授と引請の二師のほかに、多数の役位僧を招致して、荘厳な戒場に授戒の信者を集め、十七日間、入戒のための儀式をする。
 まず、仏祖正伝の菩薩大戒を授けて説き示し、如行礼賛の厳行をつづけたあと、第五日夜には、舎身懺悔の式を行い、第六日三更に登壇、覚位を称して血脈を授与するのである。
 血脈というのは、元来、父子の血統の脈絡貫通して、相続不断なるように、亳も余物を交えず、内容さらに増減することなく正伝する、切らんとして切るあたわざる親密の関係を意味するのである。
 これを釈迦牟尼仏より嫡々相承の表示と為す意として、伝戒の標に戒から新戒の弟子に授け、また、授戒会の際に、血脈授与するのである。
 このようにして、授戒を受けた在家のものは、新たに、俗名を捨てて戒名を与えられる。たとえば、浄心とか、清心とか、仏縁門弟子の名前となるのである。


法名・法号について

 一般に、われわれが死後に生前の俗名を捨てて名付けてもらう名を、ふつう戒名といっているのは、実は法名なのであって、生前に授戒をしていない者には、戒名は与えられないのが、ほんとうなのである。
 だから系図などをみると、姓氏、俗名何某、法名、あるいは法諱、法号は何々と記されているのである。
 ところで、仏教法門各派では、授戒ということが行われているが、浄土真宗では、授戒の制度作法がないから、死者に与える名を戒名とはいわない。子の宗門派では、法名または法号と名付けている。
「法名というは、紀伝の定法あり、戒名というは、授戒せざる類には通ずべからず。戒名の字、未だ出拠を見ず、法名の字の典実なるにはしかじ」
と、玄智の『孝信録』巻の二に記してあるし、また、朝川鼎の『善庵随筆』に、
「今日の例、人死すれば必ず剃髪して、寺僧より戒を授けて弟子となし、葬埋することなれば…(中略)、生前の俗名にては、仏弟子めかぬゆえ、別に没後の名を製し、之を戒名というならん。しかし、仏典に授戒の儀はあれども、名を授くることはなし。然れば戒名といわんより、俗に従いて法名または法号など、生前に用ふる所の称を没後に移して、法名・法号と言う方、穏やかなるに如かず。法名、法号の字は、唐宋の小説に多く出ず、いずれも皆生前の名なり」
と、書いている。
 法名というのは、入道者に付与する名称で、僧侶は得度式を終わったときに、これを付与せられ、在俗者派授戒または帰教式とともに、これを授け、生存中にこれを受けない者は、死亡のときに、檀那寺に請うて、これを受けるのを例とするのである。
『塩尻』第五十五に、 「法名に戒名あり、道号あり」
と、区別してあるのをみても、もとは、法名と戒名とは、別の意味であったが、現在では、いつの頃からか、各宗門宗派ともに、真宗をのぞいては、法名、戒名ともに死後に与えられる戒名と同義語とされていつようである。


位牌の典拠

 死者の戒名、法名を書いて仏壇に安置する長方形の木牌を位牌というが、「位牌古無有也、自宋以来之有」とか、また『和訓栞』によれば、
「位牌の字、朱子語類に見えたり。天竺の制法にもなく、神主の古式にもあらず。今云ふ所の位牌の形は、宮殿又はほこらの体を模せし物にて、神道の霊璽をこしらへ置て祭るべし」
とあり、また別の文献には、
「位牌は神霊代なり、当人平生神拝に用いられたる笏の形にこしらえ、廟所迄所持行也。白絹にてかぶせ袋する、持ち帰り忌中所にて之を祭る。かりの霊代也」
とも見えるが、いずれにしても、仏教では元来、位牌というものはなく、儒家と神道の影響で、わが国中古の時代にその形が造られたもののようである。
 したがって、極く古い先祖を探る拠りどころを、位牌によって求めるというわけにはいかない。
 確かな文献である『真俗仏事編』に、
「位牌は儒家の式を尋ねるに、栗木長さ一尺三寸五分ある牌を造りて、我親先祖等のそれぞれの在世の位官、姓名を書きしるして、其神霊を斯に託しよらしむ。故に位牌と名づく。分公家札に、孔子の神主を聖牌と称す」
とあり、また『事物起原』には版位とある。
「唐の諸家の祭儀、皆開元の礼を用ふと。古は士大夫皆家廟あり、既に虞するときは、則ち主を作り、官封を刻む、今寝を祭るの礼を以て参酌して、栗木をもって牌子を作る。高さ一尺三寸半なり。曾祖をば曾大考官封と日ひ、祖を他大考官封と日ひ、父を顕考官封と日ふ。匣を以て之を蔵め、薦饗に遇ふときは、則ち排弁するを俟ち、訖って祭主捧して几に置く、祭り畢りて復之を其匣に蔵む。正寝側室に於て香火を奉て旦に之に朝すと」
 つまり、父母の葬棺のそばに新調の位牌をおき、備え物をならべすすめて、香火を焚いて祭るということを、『孫氏薦饗儀範』には、記してある。また、わが国の『経済録』には、
「先祖父母を祭るに神主あし、神牌あり。神主は亡者の正体なり、影像と同じ義なり。神牌は亡者の神霊の居所を記すふだなり。何れも木にて作る物なれども、其義別なり。其制同じからず。題名も神主には其の神主と書し、神牌には其の神位と書す。神牌せば神教といふ、是也」
と、位牌というのは、神位の牌というものであると、説明しているが、多分儒教の方から転じたものであろうと思われる。


院号・居士号と過去帳

 法名は生前、死後ともに付せられるが、身分によっては各々相違がある。俗説に、居士号は侍士族に付けられ、信士・信女号は町人百姓に付されるときかされていたが、実はそのようなこよはなく、それは法名の尊称段階によるものである。
 古書に「道を守りて見ずから怡び、欲寡くして徳をつむ。故に居士と日ふ」とあり、また『法華教演義』に「居士とは清心寡欲にして道を以て自ら居るなり」とあるが、日本・中国では、有道の処士を称し、後世には、死後の法名にも、この称を付し、将軍や大名、身分の高い者は大居士、武士たちには居士号を付し、一般には信士号を与えた。
 さらになお、加増尊称として院号、院殿号や、官名等を付すようになった。もとは天皇に謚号を奉らず院号を称したものであるが、関白藤原兼家が薨じ、法興院如実と称したのを嚆矢としてから後、足利尊氏が等持院となったように、将軍は院号、さらに降って、江戸時代になると各大名、閨室には、すべて院殿号が付されるようになった。
 元禄殿中刃傷事件の浅野内匠頭長矩は、「冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄大居士」その正室阿久里夫人は、髪を切って、はじめ寿昌院の法名を与えられたが、将軍生母桂昌院のそれをはばかって、瑤泉院と改め、他界後「瑤泉院殿良瑩大姉」と名付けられている。
 なお、法名に禅定門、禅室を付するものがある。仏門に帰し、剃髪染衣せる居士をいうが、女の落飾には、禅尼、または禅定尼とする。
 高貴の禅定法皇、禅定殿下、又は禅閣と称せられた例もあるが、近ごろでは、浄土宗などで、伝法を受けた信士を、禅定門、信女を禅定尼と称しているようである。
 各宗門各寺には、過去帳が備えられていて、法名、没年、俗名等が記載されている。過去帳は、先祖を探すためには、是非とも披見検討しなければならないもののひとつである。それだけに、正しい知識をもってあたることが肝要であろう。
佐々木杜太郎氏論文:歴史読本(S47.10)新人物往来社刊】






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