原 氏

 原は平野を表わし、地名となって全国各地にみられる。原は朝鮮語では「ポル」、アイヌ語では広いことを「パラ」といい、台湾の原住民も原を「パラ」といった。そして、日本語では身体の最も広いところを「ハラ(腹)」といっており、「ハラ・パラ」は朝鮮・アイヌ・台湾、そして日本に関係する言葉であるようだ。九州地方では原を「バル」というが、これは台湾・朝鮮語に由来するものかもしれない。ともあれ、全国各地にある原の地名から原姓が生まれ現在、日本の名字のうち62位(森岡浩氏調べ)を占めている。その発祥は多様で、古代氏族では、物部氏族の原造、倭漢氏族の原首、泰氏族の原公があり、古代の出雲族には「腹」氏もある。
 武士の時代になると、桓武平氏千葉氏流の原氏、藤原南家工藤氏流の原氏、清和源氏土岐氏流・清和源氏満政流の原氏などがあらわれ出た。
 桓武平氏千葉氏流原氏は、千葉介満胤の四男高胤が下総国香取郡原郷を領して原と名乗ったことに始まる。千葉介兼胤の後見人となって以降は千葉宗家の筆頭家老として宗家を支え、小田原北条氏からも「他国衆」として独立した勢力を認められていた。戦国時代、原胤隆は足利義明・上総武田氏連合軍と小弓城に籠城して戦ったが敗れて高城氏の守る根木内城に退却した。豊臣秀吉の小田原征伐にあたり、原胤栄は宗家千葉介とともに小田原城に籠城して没落した。一方、小弓城の敗戦のとき、一族の原能登守友胤は甲斐に逃れ武田信昌に仕えた。友胤の子で美濃守を称した虎胤は武田信玄配下の名将「甲陽の五名臣」に数えられた勇将で、途名の美濃守から「鬼美濃」と呼ばれた。家紋は千葉氏ゆかりの十曜と武田氏から賜った菱紋であった。虎胤の四男重国(重胤)は徳川旗本に取り立てられ、重国の子重久(親胤)は駿河大納言忠長に仕えた。『寛政重修諸家譜』には「家紋 四菱、丸に横木瓜、十曜」と記されている。
 藤原南家工藤氏流原氏は、駿河郡原村より起こったという。『尊卑分脈』には、工藤為憲の曾孫入江馬允維清の孫師清が原権守を称したことが見えている。師清からは橋爪・原田・久野・孕石・小沢などの諸氏が分かれ出た。師清の孫三郎清益は、源頼朝の幕下に参じ、西国に転戦した。戦後、戦功により本拠を本郷に移し、本郷城を築いて原氏代々の居城とした。戦国時代、今川・武田・北条・織田、さらには徳川氏らの勢力に翻弄され、ついに安芸国竹原に落ちていったと伝えている。この駿河原氏の末裔は相模にも広がり、「新編風土記」には鎌倉公方足利持氏に仕え、さらに吉良左京亮成高に属して世田谷に居住、吉良氏が没落したのちは下野して子孫繁栄したという。駿河原氏の家紋は『紋譜帳』に「原三郎清益の紋は、横木瓜」とある。

■千葉氏流原氏参考系図

■藤原南家流原氏参考系図

 清和源氏土岐氏流原氏は、美濃国郡上郡・恵那郡などにある原村から発祥したようだ。『尊卑分脈』によれば、源頼光七世の孫土岐判官光行、その曾孫師親は原彦次郎と号し、常陸信太庄の地頭であったとみえる。そして、子の師実も原弥次郎を号したという。室町時代の御番帳には土岐原駿河守、土岐原備中守らがみえ、土岐と原の複合名字を用いていたことが知られる。師親の子孫は左馬助秀成のときに、関東管領上杉憲方に従って遠く関東に下向し、常陸信太荘に入部して、戦国時代末期まで勢力があった。一方、甲斐に落ち着いた子孫からは、武田信虎・信玄二代に仕えた原加賀守昌俊・昌胤・昌勝の三代があらわれ、奉行衆として活躍した。昌胤は長篠の合戦に反対の立場であったが、戦となると配下百二十騎を率いて敵陣に突入、壮烈な戦死をとげた。甲斐原氏の家紋は「千切」「桔梗」であった。
 その他、蒲生氏・京極氏に仕えた蒲生郡の古名族原氏、清和源氏源満政五世の孫佐渡源太冠者重実の孫原源太光成を祖とする原氏、同じく清和源氏で山縣先生国政の孫原四郎頼忠に始まる原氏が知られる。さらに、肥前松浦氏の庶流に原氏、下総結城氏一族の原氏、肥後菊池一族赤星氏から分かれた原氏、但馬日下部一族の原氏、また、尾張からは良峰氏族の原氏、三河では碧海郡浮谷城主の原右衛門、賀茂郡渡合村の領主原半之助らが記録に残っている。
 加えて、原の表記は腹、幡羅、幡良、波良、蕃良などの字をあてるものもあり、武蔵国幡羅郡幡羅郡より起こった幡羅氏は成田氏の分かれと伝えられる。文字通りに多彩な原氏があるが、星紋なら千葉氏流、桔梗なら土岐氏流、木瓜なら藤原南家工藤氏流の原氏といえそうだが、当然ながら断定できるものではない。


●同苗・戦国武将の情報にリンク
■下総原氏 ■甲斐原氏(千葉流) ■江戸崎土岐氏
■甲斐原氏(土岐流) ■駿河原氏



●左から/五つ剣蛇の目/九 曜/桔 梗/横木瓜/陰酢漿草




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