松本氏
松はその変わらぬ緑から古くより長寿のシンボルとして尊ばれ、その毅然とした姿から百木の長ともされた。また、松の字は分解すると「十八の公」となる。これは十八年待って、公=大臣になった人の話が中国にあり、松は時を待って隠忍しチャンスがくれば目的を達する訓えにもなった。一方で、松は神を招く「佳木」として尊重され、祖霊の宿る木として門松などに用いられてきた。松田・松本・松井などその縁起に因んだ地名と姓氏が、各地で生まれた。
長野県松本市は中世「深志」と呼ばれていた。中世、信濃守護を務めた小笠原氏が、戦国時代、支城の一つとして深志城を築いた。しかし、小笠原氏は武田信玄に敗れて流浪、のちに小笠原貞慶が信濃府中に復帰した。深志城に拠った貞慶は、松に瑞祥の願いを込めて松本城と改めたといわれる。
松本は松元と同意で、名字としては全国に分布しているが、とくに西日本に多い。なかでも和歌山・鳥取・熊本県では三位、大阪・兵庫・長崎・奈良・鹿児島・愛媛・京都・島根・広島でベスト10に入っている。「神を招く所」という意味があるだけに、松本氏には大社の神職が多い。京都・伏見稲荷大社の神官松本氏は、渡来系豪族秦氏の後裔。石清水八幡宮、伊勢神宮の社家をはじめ、各地の由緒ある古代神職にその名がみえる。また、武家を主とした名流旧家も多い。
清和源氏伊那氏族から出た松本氏は、信濃国筑摩郡松本から起った。『尊卑分脈』には、源満快の後裔伊那為扶の三世の
孫埴田公光の子行光が松本彦太郎を称したことに始まり、子孫は信州以外にも広がっていった。戦国大名芦名氏の
四天王の一人に数えられた松本氏は、伊那氏流といい、芦名氏に反抗を繰り返したことで知られている。
米沢藩士の松本氏は、会津を本貫としており会津松本氏の後裔と思われる。
甲斐源氏武田氏の庶流松本氏は甲斐・山梨郡から起こり、本家武田氏の家臣になり下野・駿河に移った一族もいる。
■木村氏参考系図
桓武平氏系では、名門千葉氏族の別れで下総国海上郡松本から発祥した松本氏、伊勢平氏の一族で伊勢国三重郡松本から起こった松本氏は、中宮進士教光の子松本三郎盛光の後裔という。
藤原氏系の松本氏は、藤原南家流相良頼広の子長利が松本を称したことに始まる松本氏。利仁流の斎藤氏族からは、河合斎藤助宗の曾孫にあたる宗保松本五郎を称し、後裔が徳川旗本となっている。秀郷流波多野氏からは波多野義景の孫景朝が松本を号している。
その他、紀伊国牟婁郡の旧家松本氏は秋田氏族、近江国滋賀郡松本発祥の佐々木氏族、美作の大原氏族、伊予の新居氏族などがある。
松本氏の家紋としては、相良氏系松本氏が丸に三本矢、剣花菱。河合斎藤系松本氏が丸に正文字、輪違いの内花菱を用いている。神官の系統は巴が多い。やはり、丸に松皮菱、松皮菱に花菱、丸に一つ松など、松に因んだものが松本氏らしい家紋といえそうだ。
●左から/丸に一つ松・荒枝付三階松・一つ細巴・松皮菱・松皮菱に花菱
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