月 紋
満月は満ち足りた象としてめでたいもの、
紋としては佐竹氏の扇に月丸紋が知られる。
三日月 レンジに月 升に月 朧月

 月は天体のうちで最も身近なもので、三日月待ち、二十三夜待ちなど、月への信仰は古くから広く行われていた。戦国時代に活躍した山中鹿介が、主家再興を願って「七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈願したのも月に対する信仰であった。また、世界をあまねく照らして万物の成長をうながす太陽を正・陽とすれば、月は夜の世界に顔を出し、 満ち欠けの変化をみせることから奇であり陰とされた。
満ち欠け  月は日々変化を見せるが、三日月は研ぎ澄ました刀のようであり、半月は弓張月として武士に好まれた。そして、満月は満ち足りた象として喜ばしいもの、めでたいものとされた。このような、さまざまな月の形の面白さや信仰心から 家紋として取り入れられ、諸氏の間に広まった。家紋としては、三日月、八日月、半月、満月、朧月などの意匠がみられる。また、水に月、松に三日月、松に半月、枡に月、レンジに月など、他の紋と合成されるなどしてその種類は多い。とはいえ、枡に月、レンジに月などの紋は、もともとは角に丸という単純な印であったものがいつしか上品な名前を与えられたものと思われる。 また、レンジに月は、引き両に月とも称されている。
 月紋を用いる武家では、佐竹氏の「扇に月丸紋」が知られる。佐竹氏は清和源氏で常陸国に一大勢力を築いた。しかし、源頼朝の旗揚げに対抗して一時逼塞を余儀なくされた。その後、頼朝の奥州征伐に際してその陣に加わるため、無文の白旗を押し立てて頼朝の軍に参陣した。それを見た頼朝は、白旗は源氏嫡流のものであり月丸を描いた扇を与えて、それを旗に付けるように命じた。これが、佐竹氏の家紋である「扇に月丸紋」のいわれである。扇に描かれた月は、空色の地に銀であったらしい。 兵は奇なりという考えから、月の扇は武士に好まれた。ところで、「扇に月の丸紋」は、後世、「扇に日の丸紋」とも呼ばれるようになり、近世大名となった佐竹氏でも「扇に日の丸」と称している。 しかし、成立からみて「月の丸」が正しいことはいうまでもないだろう。
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図:月の満ち欠け


■ 見聞諸家紋にみえる月紋
見聞紋 見聞紋 見聞紋 見聞紋   
左から:佐竹氏の扇に月丸紋・佐脇氏の雲月に対い鶴紋・渡辺氏の日月紋・斎藤/望月氏の雲月紋    

 月そのものを紋とした最も古いものは、『見聞諸家紋』にみえる片山左京介の「三日月紋」といわれている。その他諸家紋には、佐竹氏の「扇に月丸紋」、渡辺氏の「日月紋」、佐脇氏の「月雲に対い鶴紋」、斎藤・望月氏の「月に雲紋」などが記されている。『羽継原合戦記』には、飛騨の姉小路氏が「日月紋」を用いたとある。 また、関東地方の戦国大名で忍城主の成田氏と一門が「月に引両紋」を用いていた。
 三日月・半月紋は藤原南家流の天野一族が用い、三階松と三日月を組み合わせた「三階松に三日月紋」は、天野氏の専用紋となっている。その他、「枡に月紋」は武蔵七党の丹党から分かれた中山・黒田・加治氏らが使用した。そして、同じ丹党の流れである大関・大田原の両氏が「朧月紋」を用いている。黒田氏は「月に水紋」も用いていることから、月紋は丹党から分かれた諸氏が好んで用いたことがうかがわれる。その他、渡辺氏が「夕顔に月紋」、 奥平氏が「沢瀉に半月紋」、浅井氏が「根笹に三日月紋」などを用いていたことが知られる

月紋を使用した戦国武将家
岩城氏 大関氏 大田原氏 中山氏 成田氏

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