木瓜紋
織田信長の木瓜紋が知られている。
但馬の古代豪族・日下部氏一族を代表する紋でもある。
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木瓜は胡瓜の切り口を図案化したものといわれるが、本来は「カ(
穴カンムリに果
)」と呼ばれる鳥の巣を象ったものといわれる。ちなみに、「カ」とは地上に巣を作る鳥類の巣をいい、樹上に作られたものは巣とよんで区別された。木瓜紋の古いものとされる「徳大寺木瓜」は丸のなかに唐花を散りばめたような図柄だが、散らされた小さな花は巣の中の鳥の卵であるとされている。一方、部屋と部屋の間の長押(なげし)に掛けて仕切りや目隠し、現代では神社で見られる御簾や帳(とばり)などに長く貼られた帽額(モコウ)に使われた文様から転じたともいう。木瓜紋は卵が増えて子孫が繁栄する鳥の巣であること、神社に用いられる御簾の文様であることから神の加護があるという、めでたい紋として諸家に用いられるようになったようだ。木瓜紋は多くの家に使用され、藤・鷹羽・桐・酢漿草などと並んで日本五大紋の一つに数えられている。
木瓜紋で知られるのは、京の夏の風物詩ともなっている祇園祭で有名な八坂神社(祇園さん)の神紋であろう。
祇園社は須佐之男命を祀り、京都の八坂神社を本家として、博多の櫛田神社、尾張の津島神社、播磨の広峰神社、
などが知られ、いずれも「木瓜紋(カ・五葉木瓜)」を神紋に用いている。祇園社の祭礼では木瓜紋が瓜の切り口に似ていることから、祭礼の間は決して食さないことがきまりとなっている。この祇園社におけるタブーが、木瓜紋の発祥を瓜とするもとになったようだ。
戦国武将では、織田信長の出た尾張の戦国大名織田氏の「五葉木瓜(カ)」、越前の戦国大名朝倉氏の「
三つ盛横木瓜」、摂津池田の大名池田氏の「横木瓜」などが有名である。織田氏は平氏の末流を称し揚羽蝶紋も
使用している。しかし、本来は越前の織田剣神社の神官の分かれともいわれ、織田剣神社の神紋は「五葉木瓜」である。
一説には、越前守護の朝倉氏に仕えて木瓜紋を賜ったのだともいわれている。朝倉氏は馬国の古代豪族である日下部氏
から分かれたもので、日下部氏の祖表米宿彌命を祀る表米神社は「横木瓜」が神紋である。日下部氏からは但馬守護山名氏に仕えた太田垣・八木・田公・宿南などの諸氏が分かれ出たが、いずれも「横木瓜」を用いている。
応仁の乱のころに成立したという『見聞諸家紋』には。太田垣・八木の両氏がみえ「横木瓜紋」が記され「日下部」と
注されている。摂津池田氏も古くから続く家で紀姓を称し、「紀」は「木」と同訓であることから木瓜紋を用いる
ようになったようで、『見聞諸家紋』にも摂津池田氏の「横木瓜」が収められている。その他、諸家紋には畠山氏に仕え河内や
越中の守護代職をつとめた遊佐氏の「六葉木瓜紋」、大伴氏の後裔という三河富永氏の「横木瓜に二つ引」、武蔵七党
横山党の流れである海老名氏の「二つ五葉木瓜に庵紋」、さらに、嵯峨源氏瓜生氏の「瓜に花紋」、新見氏の「瓜に
三階菱紋」が記されている。瓜生氏のものはまことに珍しい図柄のもので、名字の一字を象ったものと考えられる。
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写真:御簾に刺繍された帽額(京都下鴨神社にて)
■ 見聞諸家紋にみえる木瓜紋
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左から:横木瓜に二つ引・二つ五葉木瓜に庵紋・瓜に花紋・瓜に三階菱紋
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木瓜紋を使用する武家は全国に分布しており、肥前の戦国大名であった有馬・大村の両氏が「五葉木瓜」を用いた。有馬氏は唐花と組み合わせ、大村氏は剣唐花と組み合わせている。両氏はともに藤原純友の後裔を称しているが、その真偽は不詳である。大村氏は紀朝臣を称した時期もあったことから、紀氏の関係で木瓜紋を用いた可能性もある。戦国時代末期に有馬氏から大村氏へ養子が入ったことで、実質的な一族となった。
他方、木瓜と庵を組み合わせた「庵に木瓜紋」は、藤原南家流工藤氏一族の専用紋として知られる。先祖の藤原為憲が木工頭(いわゆる大工の棟梁)に任じられたことから、「庵」と「木」を組み合わせて家の紋にしたといわれる。伊東・相良氏らも工藤一族でともに木瓜紋を用いる。ただ、相良氏のものは、五葉木瓜のなかに「七つ引」を組み合わせている。その他、戦国時代奥州の地で勢力を振るった小野寺氏が「一文字に六つ葉木瓜」を用いたことが知られる。小野寺氏は。藤原姓首藤氏の分かれで、一文字は首藤氏の代表紋であり、それに木瓜を組み合わせたものと考えられる。
木瓜紋を用いる家で忘れてはならないのが甲賀伴氏とよばれる一族である。甲賀伴氏は三河伴氏の分れで、
見聞諸家紋に見える富永氏とは同族関係になる。戦国時代の甲賀は五十三家と称される小武士団が割拠し、多喜・大原・
針、上野、岩根、宮島ら甲賀伴氏の一族もその一角を占めていた。甲賀伴氏は三河の富永氏と同じく「横木瓜に二つ引」
を共通の紋とした。甲賀の総鎮守とされる油日神社の神紋も「木瓜に二つ引両」で、大原氏らが氏神とした大鳥神社にも
木瓜に二つ引両」が刻まれている。さらに、滝川一益を出した滝川氏、瀬田一帯を領した山岡氏も近江伴氏の分れで
「木瓜」を家紋にしている。
このように、木瓜紋を用いる家はまことに多種多彩だが、大きくみて「横木瓜」なら但馬の日下部氏あるいは
古代豪族紀氏、大伴氏の後裔を称する伴氏との関係が考えられる。「カ(五葉木瓜)の場合なら、
祇園社の氏子であったか祇園信仰の家であったものと思っていいのではかろうか。
20100207
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写真:甲賀-大鳥神社の石碑に刻まれた「木瓜に二つ引両」紋
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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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