篠山の山城を探索する-東岡屋


岡屋城址



あぜ道にある標識を目印に城址を目指す



篠山川越しに城址を見る ・ 飛ノ山南斜面の曲輪が連なる ・ 十分な高さの切岸



大きく変貌した主郭部の櫓台跡? ・ 西岡屋方面を見る ・ 土塁跡か… ・ 山麓の削平地は居館址か…



菩提寺址の妙見堂 ・ 城址南西麓の弥勒堂 ・ 岡屋城域に祀られていたという富山稲荷社 ・ 渋谷氏の墓石に彫られた丸に蔭蔦紋


 
岡屋城は波多野氏の重臣である渋谷氏の居城址で、天正七年(1579)、明智光秀の攻撃を受けて落城した。城址のある山は飛ノ山あるいは富ノ山といわれ、古来、榊が自生する眺望に優れたところとして有名だったようで、 平安時代の学者で丹波国司でもあった大江匡房の歌が残っている。

榊葉の 色もかわらで けふよりは
     富の小山に 千代をこそまで


また、城址北方には旧山陰道が通り、南西には篠山川が天然の濠をなす、八上城北西を守る要害の地であった。慶長十四年(1609)、八上城に変わる城普請が計画されたとき、「笹山」「王地山」とともに、 築城の候補地に挙げられたと伝えられている。

城址へは北側の県立新たんば荘から、西北の諏訪神社方面から、南の弁天方面から遊歩道が通じ、播龍庵の北側には車道が 山上へ通じている。山上の主郭はアンテナ施設の設置による工事などで破壊され、城址の面影は全く失わている。 とはいえ、南斜面には見事な切岸で区切られた曲輪が連なり、山麓には居館址と思われる削平地が残っている。 また、渋谷氏の菩提寺であった法蓮山円福寺跡に建立されたという妙見堂、城域に祀られていた稲荷社を再建したという 富山稲荷など渋谷氏ゆかりの史跡が散在している。気軽な山登りに汗を流しつつ、戦国山城探訪も楽しめるところだ
加えて、篠山川に架かる監物橋を渡ったところにある医王寺は渋谷監物の居館址といい、 境内墓地には渋谷氏の後裔の家のものと思われる墓石があり「蔦紋」が刻まれている。医王寺から八上城は指呼の 距離であり、渋谷氏当主は日常を居館で過ごし、いざ合戦となると岡屋城に立て籠もったものであろう。 渋谷氏に興味のある方は、医王寺も訪ねてみられてはいかがだろうか。
・登城:2009年5月29日