本殿隣には八幡社が祀られている 社殿後方の岩を洗う激流
篠山盆地を東西に流れる篠山川は三国岳を源流として、藤坂川、籾井川、辻川、曽地川、畑川などが
流れ込み、大山で宮田川と合流、さらに川代ダム、川代渓谷を経て加古川に合流、遠く瀬戸内海へと
流れていく。その篠山川へ奥谷川が合流する野間のあたりは、剥き出しの岩盤が連なって、その上を
激流が洗っている。そんな野間の中洲に岩山のような小島があり、猿ヶ島と呼ばれて厳島神社が鎮座
している。
伝によれば、むかし当地方に旱害が続き農民は大いに苦しんでいたところ、ある夜、某の霊夢に
市杵嶋姫命(弁財天)が顕れ「猿ヶ島に我を斎き奉らば旱害は除去せん」との宣託があった。
喜んだ一同は、早速、安芸国の厳島神社より市杵嶋姫命の分霊を勧請し、猿ヶ島に社殿を設けて
鎮斎したところ旱害はなくなった。以後、旱害があれば神の祟りとなし、神前に礼を尽くし降雨を
祈ると忽ちにして雨が降ったという。戦国時代、高城山八上城主であった波多野秀治もその霊験に篤い
崇敬を寄せ、本殿を造営して寄進したという。波多野氏滅亡後、江戸時代になると篠山藩主松平氏が、
猿ヶ島に五穀豊穣を祈願して厳島神社を創建した。水害除け、雨乞いの霊地として弁財天も祀られ、
本尊は頭に白蛇を頂いた極彩色の弁財天立像とのことだ。
毎年七月七日、神への感謝と川を清める意味を込めた祭りが行われている。
また、
境内一帯は鎮守の森として親しまれ、神社近くの川原は運動場に整備されている。蛇足ながら、
神社西方にかかる橋が弁天橋と呼ばれるのは当社にちなんだものである。
写真:境内に敷き詰められた団栗
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