篠山の歴史・見処を訪ねる-上立杭


住吉神社








平安時代、今田町一帯は摂津住吉神社の荘園で「小野原荘」と呼ばれていた。 そして、小野原荘東部を小野原村、西部を市原村と呼称し、のちに支村として立杭村、古津村、上の村(現在の黒石、本荘) が生まれ、その状態は鎌倉・室町・戦国時代を通じて継続した。
当社は兵庫陶芸美術館のすぐ北に位置し、立杭村の鎮守として虚空蔵山西麓に鎮座している。境内は古寂びた雰囲気に包まれつつ、 やや荒廃の色を見せている。 本殿は拝殿の馬道を抜け、石段を登り切ったところにあり、丸に二つ引両の紋を染め抜いた幕が印象的だ。 資料によれば、コケラ葺き春日造で唐破風付き、垂木は二軒、斗供は三手先組といい、 木鼻・蛙股・妻飾などに精緻な彫り物が施されている。現在、覆屋根に囲まれているが、 野晒しの期間が長かったためか全体に傷みが目立つ。訪問したとき(2008年12月14日)、新しい年を迎える準備なのか、 拝殿などの社殿が修復中であった。