篠山の歴史・見処を訪ねる-小野奥谷


熊野神社





自然石そのままの険しい石段を登る


覆屋のなかに小さな本殿が鎮座

国道173号線と372号線が交差する小野新の交差点を西方へ走ると、すぐ右手に山陰道の小野駅跡が見えてくる。一帯は古代豪族小野氏が拓いたところで、小野駅跡の正面にある小山の西山麓には小野氏の屋敷があったと伝えられている。小野奥谷には、七堂伽藍を配した飛蔵山清水寺があり、その守護神として紀州熊野より熊野三山を勧請した。すなわち、小野奥谷の奥山に熊野坐神社(熊野本宮大社)、貝田に熊野那智神社(熊野那智大社)、二の坪に熊野早玉神社(熊野速玉大社・新宮)の三社がそれぞれ鎮座した。清水寺の建立、三山の勧請には、開発領主小野氏の力が与ったことは疑いないだろう。
のちに清水寺は廃寺となり、三社のうち熊野早玉神社以外の二社もなくなってしまった。さらに、小野氏の勢力も衰退、その屋敷跡には西光寺が建立されたが、たびたびの兵火に焼かれて廃滅してしまった。いま、西光寺跡の古墓地の一角に室町時代はじめ宝徳元年(1449)の銘をもつ美しい宝篋印塔が残されている。そして、宝篋印塔が建立される少し前の永享年間(1429〜41)、小野奥谷に熊野神社が再建されたのである。
神社へは小野駅跡からすぐのところにある標識を目印に、小野奥谷集落を抜けてさらに奥まった山麓に向うと、やがて小さな木製の鳥居が見えてくる。鳥居をくぐると左手に手水舎があり、可愛らしい沢蟹がチョコチョコと走っていく。境内には急な石段103段を登り、さらに5段を登りきると本殿の熊野権現社にたどりつく。さらに奥には、山ノ神の小さな祠が建てられている。まことに小さな神社だが、掃除の行き届いた境内と社殿は、氏子との密接な関係がうかがわれ気持がよかった。表参道の石段は気を抜くと足を踏み外さんばかりの険しさであり、帰りは足弱な年寄りや子供たちが利用するという沢伝いの参道を利用した。
写真:何年ぶりかに見た沢蟹